砥部焼
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 砥部焼(とべやき)が好きである。
器の重厚感がいい。
ふちが厚く、滅多なことでは、割れない。
カケない。
なにより、フチが末広がりにならず、包まれている感覚が嬉しい。

愛媛県の松山市のすぐ近くに、砥部はある。
町の中を貫く大通りのセンターラインにも砥部焼が並べられている。
窯元の直売所もある。
体験器造りにも挑戦できる。
こねてある土を、どうとかして形にし、置いておけば、
後日、出来上がったモノを郵送してくれる。

そういえば、30年ほど前、
さる先輩のお宅におよばれした時のこと・・
奥様が、大きな器にさつま揚げのようなモノを載せて、
我々のテーブルに持ってこられた。

「これ、トベヤキですの、熱いうちにおあがり下さい」
これを聞いたイシマル、
『ははあ~愛媛のトベヤキですネ、アレは旨いですよねぇ~』
「・・・・・・」

知ったかぶりである。
ヤキと言えば、食い物だと、知ったふりをしている。
『いやぁ~トベヤキはほんとに旨い旨い』
よしゃあいいのに、まだ褒めちぎっている。
帰りに、奥様から、砥部焼のお土産をいただいた。
「どうぞ、お持ち帰りください」
『器をですか?』
「ええ、トベヤキおいしかったでしょ」

真相を知らされ、真っ赤になった覚えがある。
いただいた器がツボだったら、入ってしまいたかった。
その砥部焼は、いまだに、我が家で使われている。
つまり、割れない、カケない。

さて、私が拵えた砥部焼の皿は、どんな風になるのだろうか?
3か月後が楽しみである。
その日は、鯖を釣っておこう。
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# by ishimaru_ken | 2017-01-18 05:52 | その他
洞窟ばか 吉田勝次の本出版
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 洞窟探検家、吉田勝次氏の本が出版された。
洞窟ばか》 扶桑社

思い切った題名である。
ばかを付けている。
ひとつ間違うと、キワモノ的に思われかねない。
本の腹巻きに、こんな事が書いてある。
「圧倒的な暗闇に広がる美しくも恐ろしい世界」

ドキュメント本と言うのは、
作者を知っている人が読むのと、
知らない人が読むのとでは、感慨が違うハズだ。
ところが、この本に関しては、その差がない
と、作者を知っている私が、言う。
理由は、作者自身が、あまりにも素直に語っているからだ。
作者吉田勝次には、普段から、
作戦だの、取引だの、偽装だのという考えがない。
ただ素直に生きているだけだ。
やりたい事を賢明に努力しているだけだ。
最も死に近い探検をしているので、
「死にたくない」研究をしているに過ぎない。

この本の中で、本人は語っている。
「洞窟の写真集を出したい」
その写真の数々は、とんでもないモノを映し出している。
究極の場所に到達した人間だけが目にした光景を、
持ち込んだ大量の光源によって、そこに行くことのできない、
多くの人類の記憶に留めようとしている。

彼を表現するぴったりの言葉が、本の腹巻きの裏側に書かれていた。

ひとなつっこくて
怖がりで
ロマンチストで
たまにアホ
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# by ishimaru_ken | 2017-01-17 06:01 | その他
ジョン万次郎の像
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 高知県の土佐清水に、あのひとの記念館がある。
《ジョン万次郎》
そして、その近くに、非常に大きな彫像が建立されている。
どなたが造ったものなのか記名が見つからなかった。
しかし、その迫力に圧倒された。
怒涛のような人生を象徴するかのような激動感。

土佐清水の貧しい家に生まれた万次郎は、
14才で、漁労中にシケにあい、漂流。
鳥島に奇跡的に流れ着き、143日後、
アメリカの捕鯨船に救われる。
以後、アメリカでの話、帰国後の話、
71才で亡くなるまでの波乱の人生を、
「大河ドラマにしたい」と、地元の人達は考えた。
町のアチコチに、
「ジョン万次郎を大河ドラマに!」というのぼりが立っている。
盛り上がっている。
盛り上げている。

記念館に、アメリカ人の作家が書いた万次郎の本が売られていた。
買い求めた。
冒頭を読み始めただけで、もうやめられない。

まだ、世界が大きく広かった時代。
冒険が冒険として認められていた時代。
う~む、ジョン万次郎の像に一票!
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# by ishimaru_ken | 2017-01-16 05:44 | 謙の発見!
道中 ぼたん鍋
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 旅をしていると、その夜に何を食べるかが、テーマになる。
「どこに泊まるか」よりも、「何を食べるか?」

言い方を変えると、
食べるモノを探し、特定してから、宿を決める。
大きく分けると、魚なのか?肉なのか?
もっと、突き詰めると、食べるモノを食べてから、宿に泊まる。
つまり、宿は、ホテルでいいという考え。

さあ、ここからが、私の旅だ。
宿はない。
基本的に、ペンクルである。
ペンクルとは、ペンション車。
キャンプ好きな人が増えたおかげで、日本中に、
《オートキャンプ場》が増えた。

オートキャンプ、つまり、車を横付けにして、
そのままテントを張ったり、寝泊りする場だ。
そこに、私のハイエースが横付けになる。
肝心の食べ物は、ご当地のスーパーで買い求めたモノだ。

今夜は、道の駅で買い求めたコイツだ。
《イノシシ肉》 (冒頭写真)
牡丹鍋(ぼたんなべ)とはよく言ったもので、
まさに牡丹の花を思わせる。

グツグツグツグツ
七輪の炭が真っ赤に熾り、鍋にイノシシ肉がおどる。
イノシシ肉は煮ても煮ても堅くならない。
大根もネギも白菜も、イノシシ獣肉汁を滲み込み、
あふあふ鍋となる。

「豚鍋じゃ、だめなんですかぁ~?」
素朴な質問が私にふりかかる。
ふむ、豚か・・・
ダメじゃない・・ダメじゃないが、
イノシシ肉の迫力は、豚とはおおいに違う。
ここで、日本語の<美味しい>と<旨い>を使ってみよう。
 豚さんは、確かに美味しい。
 イノシシくんは、なぜか旨い。
激しく褒めるならば、
 イノシシくんは、「あ~」とか「う~」とか、
感嘆詞付きの旨さにあふれている。

で、今夜のイノシシくんには、
「クゥ~」
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# by ishimaru_ken | 2017-01-15 06:04 | その他
内子の町並み
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 昨日の大洲市から、ものの20分も走ったところに、
《内子》なる町がある。
うちこ と発声する。

明治から大正、昭和が、アチコチに見受けられ、
そぞろ歩きが楽しい町である。
《内子座》なる芝居小屋もある。
もちろん現役。

昔ながらの映画館も残されていた。
イシマルの爺様が、大分県の豊後高田市で営んでいた頃の、
映画館によく似ている。
内子では、内部に入れなかったが、
一階内部に売店があり、二階席は畳敷きだった。
暖房はパイプにお湯が流れるようになっていた。
弁の開く音が、カチンカチンと響き、それなりにうるさかった。
まだ、禁煙が施行される前であり、
館内は、モウモウとあがるタバコの煙で、映写機から流れる光が、
斜めの軌跡をみせていた。

内子の町並みは、大通りの横に、中通りがあり、それをつなぐ、
小さな小道が走っている。
その小道の中に、それぞれのおウチがあり、
静かな暮らしをしている。
町全体に落ち着きがあり、お店のおばあちゃん達も元気で、
人懐っこかった。
この人懐っこさは、愛媛独特だなと感じるのだが・・・
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    映画館
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# by ishimaru_ken | 2017-01-14 05:54 | その他
初日の出 富士山
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 「初日の出に、富士山に登りました」
こう書いて、写真を載せれば、へえ~っとなる。
ほんじゃ、載せてみよう。
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《富士山頂上 319、61m》

ふむ、低くないかい?
この山の名前、富士山と書き、
<とみすやま>と読む。
愛媛県の大洲市にある美しい山だ。
日本中に、〇〇富士と称する山がたくさんあるが、
堂々と、<富士山>と名乗る山はそうそうない。
国土地理院の地図に、〇〇をつけずに、
<富士山>の明記をしている山を見つけるのは楽しい。

しかも愛媛では、とみすやま・・と変化球をおくってきた。
とみすやまのある大洲市。
ローマ字を当てると、OZUとなる。
オズとも読める。
魔法使いが現れれば、《オズの魔法使い》となる。
この町のハロウインは、魔法使いだらけだろうか?

山のふもとに、お城があった。
《大洲城》
木がふんだんに使われたお城である。
当時のままにを追求したようで、実に美しい。
天守閣のてっぺんまで登ると、当然のことながら、見晴らしは良く、
東側から富士山が見下ろしていた。
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# by ishimaru_ken | 2017-01-13 05:46 | 謙の発見!
外泊の石垣
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 「おおっ、この石垣だらけの漁村は何だ!」
昨日、セーを教えてもらった道をどんどん進んでいると、
見事なまでの石垣が組まれている集落に辿りついた。
《外泊》
案内板によると、
その昔、次男や三男たちが、この地に寄り集まり、
なんとか狭い土地に家を建てようと苦心した。
現代であれば、コンクリーで基礎を作れば、
傾斜地でも家は建てられるが、
何百年も昔は、石で垣根を造るしかない。
エイコラ、ヨッコラと長い年月をかけて石を運び、
一軒、また一軒と建ててきて、今の集落が出来上がったのだそうだ。

見事というしかない。
ここが、海岸沿いでなかったら、マチュピチュに例えられるほどの、
しっかりした造りである。

城は、殿さまが命令して、大勢の普請で拵えるものだが、
個人の家は、その個人が建てるしかない。
一個、また一個と海や山から石を運んでくる労苦は、
並大抵ではないだろう。
当然のことながら、あとから建てる人達は、
傾斜が激しくなる山腹まで石を運ばなければならない。
しかも、よくよく見ると、廻りに、段々畑を作っているのだが、
当然ながら、そこも石垣である。
畳何畳分の土地の為に、何万個の石を積み上げている。

我らの先祖様は偉かったんだなあ。
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# by ishimaru_ken | 2017-01-12 05:37 | その他



石丸謙二郎
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