父親正也の話だ。
戦争で5年戦い、その後シベリアで5年間抑留された正也。
命からがら日本の地を踏んだのは、京都舞鶴の港。
35才になっていた。
お国から、7000円(今の15万くらい)を支給された正也は、
両親がその頃住んでいた大分県別府に向かった。
別府の町に着いた正也は、7000円の内、半分の
3500円を払って、バイオリンを買ったのである。
食べるものも、乏しかった戦後のあの時期に・・
さて、日がなする事もなく、ブラブラと別府の街を歩く正也。
手にはいつもバイオリンがぶら下がっている。
ある時、街で声を掛けられた。
「音楽をやるのですか?」
声を掛けた彼が、手に持っていたのは、楽譜であった。
楽譜を持っているものの楽器がない彼と、
楽器はあるものの、楽譜がない正也が遭遇したのである。
正也はさっそく、楽譜を貸して呉れる事を嘆願した。
快く貸して頂いた大量の楽譜。
その日から、正也の楽譜の写しの作業が始まった。
五線譜を買い込み、正確に写し取ってゆく。
ミスは許されない。
こうして何十曲もの楽譜が出来上がった。
この中に、サラサーテ作曲の<チゴイネルワイゼン>があった。
バイオリンの曲の中でも、とりわけ難しいと言われている曲だ。
マジシャンの様な指使いを強要される。
明大マンドリンクラブで古賀正夫の弟子だった正也は、
チゴイネルワイゼンを弾き続けた。
数年後、正也の3人の子供達は、その成果を聞かされる事となる。
夕食後、集められた家族は、正坐をして、
音楽ショーの始まりを待つ。
おもむろにバイオリンを持ちだした父親が、
首にそれを挟む。
弦をしごいた後、
その曲が始まる。
♪~
実に厳かなイントロである。
バイオリンが泣いているかのようだ。
この曲を作った人は、とても悲しかったのだろう・・と
子供心にもわかる。
やがて、佳境に入ってゆく。
とてもエキセントリックな旋律が続く。
指先が魔法のように動いている。
もの凄い速さだ!
っと、その時、正也が口で旋律を歌い出した。
余りの速さに指が付いていかず、
究極の部分だけ、
口で演奏するのである。
そして、その部分を通過すると、
まるで何事も無かったかのごとく、
再び、バイオリンが歌いだす。
見事な、チゴイネルワイゼンのアンサンブルである。
その後、事ある毎に、この一人アンサンブルを聞かされた。
こうして育った子供達は、
チゴイネルワイゼンの曲を誤解して覚えてしまった。
最近、
本物のチゴイネルワイゼンを聴く機会があった。
究極の部分で、
なんと、バイオリンの音色が響いているではないか!
その違和感!
思わず呟いてしまった。
「コレは違う・・チガウワイゼンだ」
60年前のチゴイネルワイゼン