太宰治が菊池寛と連れだって、
富士山が見える所へ散歩をしたらしい。
「富士には月見草が良く似合う」
とか、述べている。
そして、菊池寛が、石に腰掛け、やおら
放屁をなされたと書いてある。
さて、大分県に鉄道が、3本走っているのだが、
そのうち、熊本県に向かっている線を、こう呼ぶ。
<豊肥線>(
ほうひせん)
声に出して読むと、ちょっと照れる。
「今、しただろ!」
『いや、ほうひせん!』
子供達が遊んでいたものだ。
さて、一方の日豊線の中津駅から、グイグイと山に分け入ると、
景勝地,<耶馬渓>(やばけい)がある。
菊池寛の書いた小説<恩讐の彼方に>のモデルとなった場所だ。
断崖絶壁に、人馬が通れる穴を掘り続けた話だ。
今も、その掘ったノミの跡が生生しく残っている。
堅い岩を、数ミリ単位で削っている様子が甦る。
凄いなあ、いにしえの偉人は。
マスコミもミニコミも無かった時代。
その偉業を誰にも評価して貰えなかった時代。
そんな洞窟の中で、プッと屁をこいた・・としたら
太宰氏は何と表現しただろうか?