<カーテンコール>
舞台が終わった後に、拍手が鳴り止まず、
出演者が再び、舞台上に出てくる。
<スタンディングオベーション>
観客が、感動のあまり、立ち上がって拍手をする。
畏敬の意味もある。
20年以上前、パントマイムの大御所、
マルセル・マルソーの公演を横浜に観に行った。
当時、60歳を超えており、
往年の身体のキレはなかったが、
円熟の身のこなしと、
新たな発想に酔いしれたひとときであった。
フィナーレを迎えると、当然の如く、
カーテンコールが始まった。
拍手が鳴り止まず、2度3度と舞台に登場する。
観客は、興奮のあまり、立ち上がる。
スタンディングオベーションである。
最高の喝采風景がそこにある。
ところで、<立ちあがって喝采する>という習慣は、
元来、日本には無い。
なぜ、ない。
理由は簡単。
江戸時代から、客席が、桟敷だったからだ。
お客は、板の間に座布団や、ゴザを敷いて座っていた。
その状態から、立ち上がるのは、面倒である。
立ち上がったはいいが、着物の前を合わせ、
足の痺れと闘わなければならない。
おまけに、前に立った人の頭が邪魔になって、
讃えるべき役者の姿が見えない。
そうなのだ、日本の古来の劇場は、欧米のように、
階段状になっていない。
によって、滅多なことでは、
立ち上がるお客はいないかったと思われる。
話はマルセル・マルソーに戻る。
出てきては引っ込み、出てきては引っ込み・・
カーテンコールも5回、6回と続いている。
この辺りまではよかった。
やがて、10回を超え、15回も超えた。
客の手のひらも、そろそろ痛みを感じ始めている。
ついに、20回を超えた。
ちらほら、座りだす客も出だした。
スタンディングオベーションならぬ、
シッティングブルー(今作った言葉)である。
もはや、ここまでくると、
客もそう簡単には、拍手をやめられない。
意地である。
マルソーとて、いつやめたらいいのか判断が難しい。
意地である。
いったい何回続いただろうか・・
「ひょっとすると、マルソーがカーテンコールの、
世界記録を作ろうとしているのではないか?」
いぶかみ始めた頃、ふっと、客席が明るくなり、
意地の戦いは終わった。
立ち続けた数少ない客も、
よんこらしょとイスに倒れこんだ。
後年、思うことがある。
アレは、マルソーが演じたこの題名の、
パントマイムだったのではないだろうか?
《カーテンコール》