<鰆> さわら、サワラ
「ワラサと間違えんといてネ」
サワラの悩みは、ワラサと間違われるところだ。
昨日、東京湾に釣り糸を垂れていた。
船に乗っているのは、あのナカヒラ君と二人っきりだ。
全く魚の音信の無い日だった。
「ボク、もう釣りはヤメル・・」
釣りの天才を豪語するナカヒラ君にして、
そんな弱気な発言が出てくるほど、
全く、釣れる気配の無い日だった。
「うわ~!」
突然、私の竿がグニャリと曲がる。
ギャ~~~~!
釣り糸がどんどん出てゆく。
「何コレ!ドラグが効かない!」
ドラグとは、テグスを巻くリールに、
テンション(抵抗)をかける装置である。
竿を必死で支え、ドラグを更に締め付ける。
ギュンギュ~ン!
満月のように曲がった竿先が、海面に突き刺さっている。
「鯛?」
ナカヒラ君が、叫んでいる。
鯛だとすると、5キロは軽く超えてるゾ。
これまで、釣りをしていて、
これほどギュンギュン引く魚はいなかった。
ここから、魚と私の、短くも長い戦いが始まる。
気持ちは、完全に<老人と海>だ。
ヘミングウェイに寄りかかりながら、
魚との駆け引きの時間が過ぎる。
・・ゆらり・・
水面近くに、ソイツが浮かんできた。
・・ゆらり・・
青々しい色の長い魚体が、銀色の腹を見せた。
「なんだこの魚は?!」
『イナダ?ワラサ?ブリ?』
「うわ~
サワラだあああ~!」
魚屋でしか見たことがない
サワラだ。
切り身でお目にかかる確率が高い
サワラだ。
《西京漬け》《味噌漬け》の定番の
サワラだ。
そのサワラが、水面で、獰猛な歯をむき出しながら、
ウネっている。
暴れている。
「ナカヒラ!タモ!」
叫んだその先に差し出されたタモを見て、がっかりした。
そう云えば、前回タモを失い、
新らしいタモを買ってきたのだった。
ケチって、安いのを買ったのだった。
安いタモは小さかった。
胴体の長いサワラは入らない。
「入らない!入らない!入らない!」
阿鼻叫喚の船中に、取り込まれたサワラに、
二人が尻餅をつく。
78センチ、3,6キロ!
私は自慢している。
「私はサワラを釣った」
もう一回、自慢しよう。
「私は冬に鰆を釣った」