《
人は、個人の問題を、
人類の問題にすり替えてしまう動物である》
っと、もっともらしく述べたが、この文章でも、
<私は>ではなく、<人は>と、すり替えている。
昨日も、自動ドアに頭をぶつけてしまった。
「どうして
人は、ドアが開くのが待てないのだろう?」
個人の<私は>ではなく、人類の問題に格上げしている。
さっきも、ご飯を食べながら、喋ってしまい、
豆腐のカケラが、膝に落ちた。
「どうして
人は、何度も同じ過ちをするのだろう?」
やはり、個人の問題を人類に、すり替えている。
私だけが、失敗をしているのではない!
人類全体のDNAが、そうさせているのだ!
かように主張していないと、個人的な失敗が許せないらしい。
あまりにも惨めな失敗をした時ほど、
人類を呼び出して、助けて貰おうとする。
失敗というミスを、人類単位に昇格させることで、
罪を薄めようとする。
目玉焼きをうまく作れなかった時でさえ、
「コレは
人的ミスだな」
意味不明な逃げ方をしている。
足の小指をイスにぶつけた時などは、
うずくまりながら、絶対に、個人の問題にはしたくない。
「ううぅ・・人間ってぇ奴ぁ~」
モグラの土盛り