湯たんぽをやめた。
昨年、突然湯たんぽに目覚めた。
夜就寝の際に、湯たんぽを入れると、
なんとも云えず、暖かい、
えもいわれぬひとときが味わえた。
ところが・・
人は、
すぐに慣れる動物である。
私という動物も、すぐに湯たんぽに慣れた。
慣れるとどうなるか?
眠ると、しばらくして、湯たんぽの熱さに、
無意識のうちに、湯たんぽを蹴だしてしまう。
布団の外に、蹴だしてしまう。
すると当然、布団は期待していた暖かさを失う。
さて、夜中、
足が湯たんぽを探している。
やがて、体全体で湯たんぽを探している。
探した挙句、見つけた時には、
奴は、すでに冷たくなっており、がっかりする。
つまり、睡眠の大部分で、
湯たんぽ捜索にエネルギーを費やしているのである。
これはいかがなものだろう?
本末転倒とは、まさにこの事で、
湯たんぽのセイで、睡眠が妨げられている。
さらに、もっと大きな問題が生じた。
布団の中で、寒さに弱くなった。
自分の力で、布団を温められなくなった。
湯たんぽ以前の私の身体は、どんなに寒くても、
グッっと、丸まっていさえすれば、
いつか、熱を発しだし、なんとかなったものだ。
それが、湯たんぽ使用後には、
いとも軟弱な体になりさがり、
グッとしていても、寒くて眠れない。
駄目な人間に成り下がっちまった。
「よし、湯たんぽをやめよう!」
決断は早かった。
別に、湯たんぽ業界に槍を向けるわけではないのだが、
甘えた身体を鍛え治すのだ。
鞭打ってみるのだ。
きっと、眠れないだろう。
きっと、風邪をひくだろう。
試練とは、そうしたもんだ。
きっと、陰干ししてある湯たんぽを見ては、
流し目をおくる日々が続くに違いない。
それどころか、湯たんぽをソデにしたふるまいに、
後悔の震えがおこるに違いない。
しかし、試練とは、そうしたもんだ。
身体に鞭打つとは、そうしたもんだ。
今年の冬は、ことさら寒い。
試練には、ピッタリの寝室が待っている。
いざ、北国の人々に思いを馳せよ。
被災地で、布団が足りなくて、
震えている人たちに思いを馳せよ!
洞窟を抜けると、そこは雪だった。