問題は
蕎麦湯だ。
「すみませ~ん、蕎麦湯くださ~い」
蕎麦屋で、もり蕎麦をすすったあと、
最後のシメは、蕎麦湯である。
あの微妙な味わいは、
日本で長く蕎麦を食って過ごした人でなければ、
簡単にうなずけるものではない。
しかしである。
昔から、どうも気になって仕方がない物体がある。
蕎麦湯入れ容器だ。
名前を何というのか知らないのだが、
アレの大きさがどうも、理解できない。
一言で云えば、
大きい。
「はあ~い、ここ置いときますねぇ~」
おねえさんが置いていってくれる、
あの容器の大きさに首を傾げる。
「いや、そんな大袈裟なモノを置いていかれても困ります」
つい口に出しそうになるほど、大きい。
たかが、もり蕎麦しか食べていない、
一人の客に対するサービスなのに、
容器が立派で大きい。
例えば、
「ここ置いときますねぇ~」
と無料サービスしてくれるお茶の急須でさえ、
もっと小さい。
この大きな容器はどう考えればいいのか、
積年の問題であった。
そして昨日、頭に灯りがともった。
そもそも子供の頃、もり蕎麦を初めて食べた時、
ザルに乗せたもり方に、上げ底を感じた。
「うわあ~こんなにたくさん!」
喜び、ハシを突っ込むと、すぐにカツンとザルに当った。
(
あげぞこじゃないか?)
大人になって、初めて蕎麦湯の容器を見たとき、
「うわあ~こんなにたくさん!」
驚いた。
しかし、注いでみると、さほどの量が入っていない事に気づく。
つまり、あの箱型の容器の
壁は分厚いのだ。
内容量が少ない容器なのだ。
原理は、あげぞこと同じ考えかもしれない。
蕎麦屋は、常に、
あげぞこの演出で、
私たちを楽しませている。
蕎麦をうつ私