チーズフォンジュ好きですか?
っと突然、振ってみる。
スイスでヨーデルを聞きながら、
白ワインで溶かされたチーズ鍋だ。
昨日は、スイスでもイタリアでもなく、
日本語を聞きながらのチーズフォンジュだった。
基本的に、パンが刻まれて出てくる。
パンを鉄串に刺して、チーズ鍋の中に突っ込み、
チーズまみれにして、食べる。
日本の串揚げの、スイスバージョンである。
さて、食事は順調に進んだ。
そして、問題がおこった。
昔々、イソップ物語があった。
その中の天秤の話を思い出した。
確かこんな話だった。
《天秤で平等に肉を計ろうとした。
ところが、どうしても片方に傾く。
そこで、傾いた重い方の肉を少しだけ食べる。
ところが、食べ過ぎたのか、反対側に傾く。
そこで、又、重い方の肉を、少しだけ食べる。
そうやって、次々に食べ続け、全部食べてしまう》
さて、話をチーズフォンジュに戻そう。
我々はが舌鼓をうっていると、やがてパンに比べて、
チーズの量が足りない事に気付いた。
「すみませ~ん、チーズ足してもらえますぅ~?」
店のマスターは気前よく、チーズだけ足してくれた。
ところが、マスターの<気前よく>が問題だった。
今度は、チーズの量に比べて、
パンが足りなくなったのである。
「すみませ~ん、あと少しだけ、パンを・・」
マスターはこころよく、パンを持ってきてくれた。
ところが、その<こころよく>が問題であった。
再び、
チーズが足りなくなったのだ。
「すみませ~ん、チーズを・・」
マスターは、イヤ顔ひとつせず、喜んで、チーズを運んできた。
その<喜んで>が、問題を後押しした。
やっぱり、パンが足りなくなったのである。
「すみませ~ん・・」
気前よく、こころよく、イヤな顔ひとつしなかったマスターが、
持ってきたお会計には、当然のように、
すべてが加算されていた。
かくして、我らは、イソップ物語が教訓とならなかった、
お馬鹿な大人の烙印を押されたのである。