メールの文章が短くなる傾向にある。
家族や夫婦間のメールでは、それが顕著にあらわれる。
「終わったヨ、これから帰るネ」
最初はこのようなメールを打っていた筈なのに、
いつのまにか、どんどん短縮されている。
「終わり、帰る」
「おわり」
文字歴の「お」の欄の筆頭が、「おわり」だ。
返ってくるメールも短縮に拍車をかけている。
「はい、ごくろうさま、気を付けてお帰りなさい」
これが、原型である。やがて・・
「ごくろうさま、気を付けて」
ついに、
「気を付けて」
おそらく、「き」の欄の筆頭が、「気を付けて」になっている。
しかし、これでも一応文章になっているから、
誰が見ても理解できる。
ところが・・
「わかったヨ、すぐやっとく」
理解したという意味の語彙をメールする機会は圧倒的に多い。
多いあまりに、いちいち長い文章を打つのは、時間のロスだ。
短縮とは、この為にあるのかと思いいたる。
「わかった」
こうなるのは、自明だ。
さらに、小さな「っ」を打つのが面倒になる。
「わかた」
この小さな「っ」の欠落現象は、あたりに伝染する。
「こまった」は、「こまた」となる。
「まいった」は「まいた」となる。
「食ってしまった」は「食てしまた」となる。
「わかた」の短縮は、
その頻度から、将来的にさらなる短縮を招くだろう。
「わか」になるのに、さした時間かからないだろう。
最終的に、「わ」に帰結するものと思われる。
長々と、長いメールを受け取り、それを理解したという返事が、
「わ」
これだけである。
長々打った相手にしてみれば、いかにもさびしい。
しかも、これで短縮が終わった訳ではない。
短縮は、常に究極を目指している。
長々と打ったメールの返事が・・・
カラメール。
文字は無い。
返事を打つ時間がないとみえて、ただカラメールが送られてくる。
その意味は、「わかった」という趣旨だ。
カラメールが二つ続けば、それは、
「よくわかった」という意味だ。
ふたつ打つ暇があるなら、
「わ」くらい打てばと勘繰るかもしれないが、
いったん短縮形に足を踏み込んだ送信者には、
あと戻りがきかない。
それは、メールで何度も難しい話を更新するくらいなら、
電話すればいいじゃないかという議論に似ている。
この先、さらなる短縮の進化があるのかどうか?
いつの世も、驚かされる事ばかりなので、
どんな短縮形が出現しても、冷静でいよう。
わたし・・?
私は、まだ、「わかた」で留まっている。
だって、「わ」には、
「わ~い」の出番が待っているのでネ。
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