昨日、大人の免許証の話をした。
すると、
「オレはさあ、定食屋で、ご飯を残した時だな」
テーブルに肩肘ついてのたまう御仁がいる。
たとえば私だ。
30才を随分過ぎた頃、
つまり、四捨五入で40才になった頃、
定食屋のカウンターに座っていた。
<さば味噌煮定食>を頬張っていた。
いじましい食い方から、
つつましい食べ方に移行する過渡期だった。
サバをつついている最中に、
店内の壁に貼ってある演歌歌手の名前を、
確認できる度量が生まれていた。
やがて、オカズであるサバと、主食であるご飯の比率が、
うまく進み、このまま食事を終えようとしたその時・・
「このご飯・・一口、残してみよう」
なぜか、挑戦的な思いが突き上げてきた。
(そんな大それた事していいのか!)
初めての試行にためらいが生まれる。
《出されたモノはすべて食べる》
これが、モットーだった。
たとえ腹いっぱいでも、出されたモノはすべて食べた。
よもや、定食屋で、残すなんて有りえない!
刺身のツマまで皆食った。
飾りとして置いてある緑の草まで皆食った。
駅弁を食い終わって、爪楊枝を使っている時、
「シキリの緑ビニールのヤツはどうしました?」
質問された事すらある。
《残す》罪悪感があったのだ。
ところが、その日、
さば味噌煮定食の、ご飯を残してしまった。
腹は満ちていないのに、残してしまった。
理由は・・・・・ない。
ただ、やってみたかったのである。
その時、ふと感じた。
「おっ、オレって、大人になったんじゃない?」
今にして思う。
それが大人なら、
大人って、たいした事ないネ。