栃木の県庁所在地<宇都宮>へは、頻繁に訪れる。
東京から、車で1時間で着く。
何をしに行くのか?
食欲を満たしに行くのだ。
何の?
<餃子>である。
宇都宮に行くと、朝から晩まで、餃子ばかり食っている。
宇都宮だって、他の美味しい食べ物がある筈なのだが、
餃子しか、腹に入れない。
もの凄い偏食である。
都市としての偏食行為と言っていいだろう。
例えば、夜・・
ある餃子屋のノレンをくぐる。
「焼き一人前と、ビール」
グビっとやりながら、パリっとした皮の餃子を頬張る。
パフゥ~ ニンニクの吐息を吐き出し、店を出る。
次の店のノレンをくぐる。
「焼き一人前と、ビール」
ハンで押したセリフを吐く。
グビグビッ、
ガブガブ・・
パフゥ~ お店を出る。
「焼き一人前と、焼酎水割りで」
三軒目ともなると、少しだけ落ち着きがでる。
ここで、こうべを傾げる。
普段の夕食だと、栄養バランスを考える。
刺身や豆腐とたいらげながら、生野菜をほおばったりする。
ところが、餃子をついばむ場合に限って、餃子から外れない。
どうやら、餃子を<完全栄養食材>と信じている節がある。
皮であるデンプン。
肉の、たんぱく質。
キャベツの、繊維質とキャベジン。
ニラの、ガンバリ系。
シイタケの、よくわからない栄養素。
生姜とニンニクの、ガッツ系。
油で焼き、ラー油で食べる熱燃焼。
餃子さえ食べていれば、
栄養バランスが足りていると信じている私がいる。
だから、餃子の日には、餃子しか食べない。
ご飯も、漬物も、サラダも食べない。
せいぜい、焼くか、蒸すか、茹でるかの違いだけだ。
餃子以外を腹に入れるのが、もったいないとさえ思っている。
餃子の日は、
餃子で胃袋が占有されるのが、幸せなのだ。
「ありがとうございます、はいどうぞ」
餃子屋の女将から差し出されたチューインガムすら食べない。
餃子特有の余韻を、ガムなんかに邪魔される訳にはいかない。
臭かろうが、匂いプンプンだろうが、
餃子を食ったと云う、まぎれもない事実を、
しばらくの間、噛み締めたいのである。
あわよくば、夢にまで観たいのである。
あえて、宣言しよう!
《ゲップをして、罪悪感が全くないのは、
餃子を食べたあとだけである》
華厳の滝 遠望