山梨県以上に、富士山を愛でている県が静岡県だ。
愛でているという表現はあたらないかもしれない。
むしろ、静岡県人は、富士山を、
自分とこのモノだと思っている。
当たり前に或るモノだと思っている。
だからだろうか?
他県の人のように、わざわざ富士山を見に行ったりしない。
富士山を見て、
「おお~富士山だ!」と声を挙げたりしない。
よもや、手を振ったりしない。
「富士山に向かって手を振ったりするんだよ」
静岡県の方に、そう言っても、信じて貰えない。
『なんで手を振るの?』
逆に訊き返されてしまう。
まあ、手を振っている人だって、
なんで振っているかなんて解っていない。
ジャイアント馬場とか、大きな人が通ると、
思わず手を合わせたり、手を振ったりする感覚に似ている。
富士山を独占所有している意識は、
山梨より強いような気がする。
「だって、しょうがない、或るんだもん」
天地がひっくり返っても、
富士山だけは、自分の県から奪われない
という自信があるようだ。
この感覚は、他県から静岡県に移り住んだ人には、
なかなか身に付かない感覚である。
やはりそこは、静岡に生まれ、幼少期から過ごした人でないと、
会得できないモノなのかもしれない。
伊豆半島の大瀬崎に行くと、
松竹映画のラストに出てくる富士山が見える。
富士山の中から、<終>の文字がとび出してくるカットだ。
さっそく、撮影の合間、画用紙で<終>の文字を作り、
メークさんと、松竹映画のラストシーンと興じた。