京都は借景が得意である。
ちょいと置いてある土管でさえ、覗くと、この通りだ。
街自体が狭いのに、大量の人が住んでいるので、
住まいが小さい。
庭なんて造ってられない。
そこで、お隣やら、遠くの風景を借りるのである。
小窓の向こうに、限られた世界を作り出す。
窓枠で切り取った風景は、さながら、額縁の絵だ。
箱庭から眺めた箱窓の世界は、想像力を刺激する。
この
風景の切り取り方は、
写真家が、画劃(がかく)を決めるのに似ている。
ムービーのカメラマンだって、画劃の事ばかり気にしている。
テレビをお茶の間で観ているとき、
カメラマンによって切り取られた世界を観ているのだ。
カメラマンのセンスに、おんぶに抱っこである。
だからだろうか?
京都の時代劇のカメラマンの切り取り方には、
思わず、感嘆の声を揚げる。
「うまい!」
映ってはならぬモノを映さず、
映したい人物に焦点を当てる。
おんぶに抱っこされても安心なのだ。
普段から、切り取りの世界にいるゆえか、鍛えられている。
最後の写真は、京都の<流れ橋>である。
大水が出ると、橋全体が崩れるのを防ぐ為に、
あらかじめ、上部の板を結んでいる鎖を片方外すと、
片側の岸に、上部の板らが流れて浮いているのである。
水が引けば、又、橋桁に乗っけるのである。
この流れ橋は、しばしば時代劇に登場する。
私がタイマーを使って撮影したら、こうなったが、
時代劇のカメラマンの手に掛かると、
どうなるか?
何かの折、時代劇に、この流れ橋が登場したら、
気にして観ていると面白い。
カメラマンはどう切り取るか?
思わず、「うまい!」
声を発するかもしれない。
この間、行ってみたら、去年の台風の大水で、
流れたままになっていた。