「和歌山県の写真が無い!」
週末恒例県別写真を慣行している私が、腰を抜かした。
北海道から、沖縄まで、全ての都道府県のお気に入り写真を、
載っけようと始めた企画が、和歌山県で頓挫しようとしている。
なぜか?
今から6年ほど前に、我がパソコンが、バックレた。
その挙句、全ての写真が無くなった。
という事は、その後6年間、
和歌山県を訪れていないという事になる。
違う言い方をすれば、その後、
和歌山県以外は訪れているのである。
それはそれで、興味深い。
さて、写真は無いものの、和歌山県の偉人の話をしよう。
《稲むらの火》
浜口梧陵(はまぐちごりょう)という、江戸末期の偉人がいる。
浜口儀兵衛(ぎへえ)のほうが、通りがいいかもしれない。
ヤマサ醤油の7代目当主である。
先年、ドラマ「仁―JIN」では、
この浜口儀兵衛役を、イシマルがやらせていただいた。
この人物が、
津波におおいに関係があるのである。
1854年、12月24日の夜。
和歌山県の、広(ひろ)村を、安政南海地震の津波が襲った。
人々は、暗闇の中、逃げまどった。
そのとき、儀兵衛は、丘の上に集めておいた、
自らの田んぼの稲わらに火を放ち、
村人の逃げるべき方向を示したのである。
結果、9割の村人の命を救った。
このときのお話が、《稲むらの火》として語り継がれている。
作家大下英治氏が、《稲むらの火》の本を出版している。
この逸話は、現在の小学校の教科書にも使われている。
この話は、これまで、あまり知られてこなかった。
私も知らなかった。
知らない事は多い。
知らなかったついでに言えば、この偉人浜口儀兵衛が、
和歌山に、学校を創った。
いまでもその学校はある。
名前を教えよう。
《耐久高校》 (たいきゅう)
8年ほど前に、和歌山県を、ブラブラしている時に、
見つけた。
名前の突飛さに、思わず、良からぬ発想が湧いた。
儀兵衛氏の強い願いなど全く知らずに、お馬鹿を書いたのだ。
すると、耐久高校のOBの方に、
「こんなバカな事を書いている馬鹿者がいるゾ!」と叱られた。
反省しております。
《耐久高校》2006;4月5日