小麦粉を練って焼いたモノで、一番美味いのが、
《ナン》だと、信じている私だ。
インド料理に登場するナンに初めて出会うと、ビックリする。
何にビックリするかと云えば、その大きさだ。
カレーを注文して、ナンを選択する。
しばらくして、店員が持ってきたナンに思わずのけぞる。
「なんだ?この大きさは!」
顔面より遥かに大きい薄茶色の物体をしげしげと眺める。
アチコチに、小山のような膨れができている。
表面がツヤツヤと光っている。
(こんなには食えないナ)
溜息が洩れるのだが、ナンの絶対量はたいした事ない。
あのガタイは、見せかけだ。
食べ進めれば、全部たいらげられる結末に行きつく。
大きく見せて、実は、普通のパンの一人前と変わらない。
ゴハン一膳と変わらない。
こいつは、アレと似ている。
子供の頃、蕎麦屋に連れて行って貰い、
ザル蕎麦を註文する。
そして、運ばれてきた、
ザルの上に乗っかっている
蕎麦の量に仰天する。
「うわぁ~こんなに食べれんぞぉ~」
当時のザル蕎麦は、何段にも重ねられるように、
セイロ状の輪っかが土台についていた。
ザルが上げ底になっているのを、子供は知らないのだ。
やがて、ハシをグサリと差し、ガツンとザルにぶち当って気付く。
「えっこんだけ?」
《偽装》という考えが、初めて子供心に浮かぶ。
総量偽装された蕎麦をうらめしく見る。
ただし、食べ進めれば、その量が適量である結末に行きつく。
ナンもザル蕎麦も、
結果、
偽装ととられなくもない姿を演じながら、
美味しいという一言で、許されてしまっている。