朝刊を読んでいる。
朝、新聞を読むのは、落ち着きを与えてくれる。
さ、そこでだ・・その読み方だ。
記事の読み方を問うているのではない。
政治面、社会面のどちらかから読むのか問うているのでもない。
アナタが漫画だけ読んでいたとしても、意を唱えない。
アナタが、テレビ欄だけを見ていたとしても、褒めてつかわす。
たとえアナタが、折込みのスーパーのチラシだけを、
熟読していたとしても、それはそれで構わない。
今日、私が気にしているのは、
新聞を読み進める時に生じる、
《ページめくり》問題である。
朝食を食べながら、お父さんが、新聞を読んでいる。
そのうち、ページをめくる。
めくったはいいのだが、十枚以上ある紙面を、
バリバリいわせながら、反対向きにしている。
反対向きにするには、どこかで折り曲げなくてはならない。
ここで、二種類のオジサンが登場する。
《きちんと折り目を付けるオジサン》
《いい加減に折り曲げるオジサン》
このオジサンの電車の中での風景を見てみよう。
前者《きちんとオジサン》の場合、
座席に座っていても、立っていても、行為自体がうるさい。
新聞の全体を反対向きに折り曲げるだけなのに、
非常に几帳面な行程をたどる。
まず、両手でガサガサやりながら、
新聞という大きさの空間の移動を余儀なくされる。
周りの人はたまったモンではない。
移動させたあげく、オジサンは、真ん中をきちんとしたいのか?
折り目を指で撫で付けている。
静かな車内に、ビシバシッと整列させる炸裂音がはじける。
うまく折り目がつかないのか・・反対側に片腕突っ込み、
折り目を正している。
新聞を読んでいる時間より、折り目にかけている時間の方が長い。
では、《いい加減オジサン》だったらいいのか?
同じように、電車の中に、このオジサンを配置してみよう。
オジサンは、実にいい加減に、新聞を折り曲げる。
グチャリぃ~
人は誰でも、先に述べた
《きちんとオジサン》的な要素を持っている。
乗り合わせた乗客は、このいい加減さに、いらだつのである。
折れ目が折れ目に重なっていたり、
半分だけ折れていたり、あまりのいい加減さに、
思わず背中をかきたくなるのだ。
「私が折ってあげましょうか?」
つい言葉をかけてしまう乗客がいるらしい。
(いません)
そんなオジサンに見られたくない、と云う方は、
早朝、自宅でひそかに新聞を読みましょう。
テーマは、
《折り曲げる瞬間を見つからない》こと。