<蔵書>
ぞうしょ、と読むこの本棚は何だろう?
10年前にふと、気づいた。
我が家の寝所に、本棚がある。
40年来、私が読んだ本が、積み重ねられている。
ギッシリ
ハードカバーから文庫本まで、ギッシリ。
純文学から、ミステリーから、サスペンスから、
ノンフィクションまで、ギッシリ。
4000冊を超える。
で、この蔵書を、いったい私はどうしようと云うのだろう?
どうしようとして、これまで溜めてきたのだろう?
いつの間にか溜まったとは、言わせない。
意図的に、本棚として溜めたフシがある。
その理由を列記してみよう。
「読んだ本の重みを知りたかった」
「読んだ本が自分に与えた影響を知りたかった」
「いつか誰かに、コレを読ませたかった」
「いつか誰かに、これを見せたかった」
「読んだという結果を、量として知りたかった」
「本棚の前で、科学者のごとく写真を撮りたかった」
「本を捨てる勇気がなかった」
10年前、ふと思い立った。
「蔵書なんかいらんやろ」
4000冊の本を、売りさばいた。
超のつく安値で、はたいた。
すっきりした。
蔵書が無くなるや、すぐまた、本を読み始めた。
ペースは、以前と変わらない。
そうだったのか!
読書とは、食事と同じなのだ。
食べたものは、溜めておけるモノではないのだ。
蔵食なんてないのだ。
蔵書に、意味を見つけようとするならば・・
本屋で、買い求めた本が、以前に買った本かどうか、
間違っていないのか?
確かめる為の書庫として、存在するような気がしないでもない。
偶然古本屋にあった《つかこうへい氏のサイン本》