「地下鉄サリン事件、その日、アナタは何をしていたか?」
悲しい命題を、私にふられた。
実は、あの日のあの時間、私は、
あの地下鉄に乗っていたかもしれない。
その3日前、あるロケで、私は沖縄の空気を吸っていた。
初めての沖縄の海に感激していた。
エメラルドと云う言葉を、エラメルドと発音してしまう、
沖縄初心者であった。
その感激の余韻として、
私的には初めて、スケジュールのオネダリをしたのだ。
「帰る日を一日伸ばして貰えませんか?」
後にも先にも、オネダリをしたのは、この時だけだ。
結果、OKを貰い、沖縄バカンスともいうべき、休日になった。
それが、3月15日。
本来、その日は、朝、ナレーションの仕事で、
都心にいるハズだった。
まさに、9時前に、その辺りの地下鉄に乗っているハズだった。
だったのに、オネダリバカンスで、一日帰京がズレたのである。
沖縄のホテルの朝食後、部屋で、エラメルドの海を眺めていたら、
ニュースが飛び込んできた。
一日中、テレビの前に座っていた。
その場にいたかもしれない自分に怯えながら、
《私のような人が大勢いたかもしれない》
偶然の悲劇とギリギリの運命を感じながら、
《偶然、その場から居なくなってしまった責任》を感じていた。
自発的に、その場から居なくなるのと、
偶発的にその場から、居なくなるのとでは、
本人の心持ちに、雲泥の差がある。
20年前は、まだまだ近い過去のの記憶だ。
そういえば、御巣鷹山の日航機墜落の時・・どこにいただろう?