ドラマのロケでは、待ち時間というモノがある。
1、2時間ではなく、6時間も8時間も待ち続ける場合もある。
いわゆる「押している」という状況だ。
待っている役者は、本を読んだり、眠ったり、話をしたり、
話をし過ぎて、「ウルサイ」と指摘されたり、
様々な方法で時間をつぶす。
現に、昨日のロケ待ちでは、文庫本を一冊読んだ。
この待っているという時間は、車で云うところの、
エンジンを切っている状態ではない。
アイドリング状態と云うのが、当たっている。
いつ呼ばれてもいい様に、心理的にはスタンバイしている。
いつでもギアを上げられるようになっている。
このアイドリング時には、脳が活性化している。
いろんなアイデアがフツフツと湧いてくる。
夜中に朦朧と湧いてくるアイデアのように、
あとで、「なんじゃこりゃ?」
反省してしまうような貧弱なモノではない。
思わず、左手の手のひらを右手のコブシでトンと叩きたくもなる。
夜中の夢うつつの状態が、脳のロー(低い)活性ならば、
アイドリング中のそれは、ハイな活性だ。
ところが、ハイ過ぎて、やっぱりあとで、
「なんじゃこりゃ?」
書き留めたアイデアに首をかしげる。
そのうち、
あまりもの首かしげ論文が貯まってしまい、
ゴミ箱に捨てられる。
たまに、これはと思うモノを、試しにバタヤンに送ってみるのだが、
さすがのバタヤンでも、未消化になるらしい。
ただし、バタヤンの素晴らしいところは、
どんなお馬鹿なアイデアでも、
あだや疎かにせず、検証してくれるのだ。
なぜ、人々に受け入れられないのかを、説明してくれる。
「世が世なら・・」
暖かい言葉をかけてくれる。
恐らく、自分自身が普段、
そんな経験をいっぱいしているのだろう。
そして、バタヤンと私の違いは、
片や人類の為になり、片や凡人の遠吠えである。
ま、そんなもんだろナ。