《キャップを閉じる》と教育された時代に育った。
キャップは、マジックの頭についていた。
マジックとは、マジックと呼ばれた油性ペンである。
油性と云うことは、揮発性という意味だ。
揮発と云う事は、キャップを開けていれば、
どんどん揮発すると、揮発性の言葉が主張している。
ところが・・・・
時代が変わった。
ペンのキャップを外す。
その辺に置く。
そのことに拘泥しない人種が現れた。
「揮発するじゃないか!」
目をつり上げているのは、私世代だ。
周りを見回しても、目どころか、眉さえ動かしていない。
それどころか、テーブルの上は、
キャップを外したペンであふれている。
よもや、<揮発>なんて言葉は、どこにもない。
「どしたんですか?」
不思議な顔をした若者が、私の顔を覗き込む。
う~~~~むぅ
ここで、私は、腕を組み、考え込む。
あのネ。
私は、揮発だけを問題にしている訳ではないのだ。
トイレのドアの話をしたいだけなのだ。
その昔、
便所の扉を閉めないで、去る人を、こう呼んだのだ。
《雪隠育ち》(せっちんそだち)
自分の恥ずかしい部分の終いを、きちんとしない人はダメだゾ
と戒めた言葉だ。
言い換えれば、<やりっぱなしはダメだヨ>と述べている。
さらに、私がそれを、きちんと言い換えよう。
「ふたぐらいして去れヨ」
そう、トイレのふたも、ペンのキャップも、時代は変われど、
閉じるに限る。
だって今の時代、携帯も、最後には、閉じるでしょ。
えっ閉じない?
スマホだから・・?
善光寺