神社は、杜である。
森ではなく、北杜夫の杜だ。
風間杜夫の杜だ。
日本の神社から、杜をなくすと、なにやら哀しい。
衣服をつけずに、立たされた生徒のようで可哀想である。
隠すべきものは隠さなければ、哀れである。
時折、神社周りの造成などで、やむなく杜がなくなる。
刈られる。
裸になる。
神様も恥ずかしいだろうが、お参りにゆく我々も恥ずかしい。
舞台裏を見られてしまった芝居小屋のようで、落ち着かない。
梁に吊るされた鈴の縄をにぎる手に、力がはいらない。
お賽銭を投げ入れようと、財布を出すのだが、
中身を覗かれているようで、背が丸くなる。
杜がないセイで、光があふれている。
世の中、光があふれるのは、めでたい事なのに、
神社に関してだけは、おおいに困る。
苔をまとって、じめっとして貰わなければ・・
なんだか、スースーしている。
隙間風どころではない。
まともに風が吹き抜けてゆく。
たまに、ゴ~などと髪を巻き上げる。
巻き上げる髪が無いおとうさんでも、思わず首をすくめている。
パンパン・・・打った柏手が、杜に吸い込まれる事なく、
空を漂っている。
なにより、神社につきものの、カラスがいない。
カラスが寝床すら造れない。
しかし、カラスから、
晴れ着に糞を落された苦い思い出のある娘さんだけは、
胸を張って、ポックリを鳴らしている。
与論島の丘の上の神社は、風が強すぎて杜がなかなか育たない