将棋新聞が、2016年、3月30日号をもって休刊となった。
先日、廃刊と述べたのは、厳密にいえば間違いである。
しかし、休刊も廃刊も、現実的には同じだろう。
休火山と死火山ほどの差にすぎない。
32年の歴史だ。
丁度、私が将棋に触れ始めた時期と重なる。
先日、囲碁の世界的達人が、コンピュータに負けてしまった。
5番勝負で、1勝4敗。
将棋より、難しいと言われた囲碁コンピュータが、まさかの大勝。
チェスはかなり前に、人が敗北を認めている。
残るは、将棋だ。
毎年、プロの棋士との対戦が話題になっている。
今の所、まだ微妙な差で、人間が優っている。
しかし・・・
いずれ、追い越されるのは時間の問題だ。
この将棋新聞の最終章で、
将棋ライター鈴木宏彦氏が、記事を書いている。(抜粋)
「世界トップの囲碁棋士が負けたことで、コンピュータと人間の,
ゲーム対決は決着がついたという見方も広がるだろう。
2016年が、一つのエポックになったことは間違いない。
いい機会なので、私はプロ棋士とコンピュータ将棋の対決も、
そろそろ終わりにすべきだろうと思う。
将棋のプロ棋士は、対コンピュータ戦において、
もう十分に果たすべき役割を果たした」
コンピュータの発達に、
将棋や囲碁の棋士たちが果たした役割は大きい。
自ら負けるという負担をしいられながら、
挑戦を受けてきたのである。
我々も、その勝ち負けに一喜一憂してきた。
しかし、いずれ負けることが分かっている勝負に、
プロである棋士たちを使い続けるのは、いかがかと提示している。
将棋の世界は、「負けると悔しい」世界である。
とてつもなく悔しいのである。
将棋盤をひっくり返すと、裏に凹みがあるのが見える。
この凹みには意味がある。
二人が対局している最中に、横から助言やチャチャを入れたら、
そやつの首を刎ねて、この凹みに乗っけてやるという脅しだ。
自分が自分だけの力で負けたのなら、まだいい。
横から余計な事を言われて負けるのは、我慢ならない。
よもや、コンピュータ。
朝飯も、昼飯も、水もとらない不死身。
一兆のパターンを瞬時に詠んでしまう。
眠りもしないコンピュータ。
「負けは、認めたくないが、進化には協力したい」
棋士たちの健気さには、頭が下がる。
だが、棋士たちを晒し物にはしたくない。
棋士にとって、負けは、屈辱以外の何物でもない。
コンピュータにこう言わせてはいけないのだ。
『君は、頭が悪いネ』