エスカレーターは使わない。
上りも下りも、階段を使用する。
筋肉をつける為?
まあ、その気持ちもないでもないが、
実際は、単に
セッカチだからである。
エスカレーターに乗って、じっとしているのがイヤだ。
今まで、タッタタッタと歩いてきたのに、
突然立ち止まり、無目的に静かにしていなければならない。
だからと云って、読書できるワケでなく、
飯が食えるワケでなく・・・
前後を人に挟まれ、イヌの「待て!」状態が続く。
やがて、「ヨシ!」の合図で、吐き出されてゆく。
階段に頼れば、この「待て」と「ヨシ」がなくなる。
自由度があがると言っていい。
じゃあ、エスカレーターの(東京の場合)右端の、
開いているスペースを上ればいいじゃないか?
という意見もある。
たまに、そこを登る時がある。
しかし、不思議な事に、エスカレーターを歩いて登るより、
階段を上っている人の方が速い。
本来歩くスペースでないので、ゆっくりしか上れないからだろう。
しかし、都会の地下は、新線が生まれる度に、地下深く沈んでゆく。
大江戸線は、かなり深い。
麻布十番駅の階段を、えんやこら登ったら、200段あった。
新宿駅の最下部から、地上の南口まで、287段あった。
「数えたんですか?」
『数えました』
いくら健脚だとて、息があがる。
シャツが汗まみれになる。
一日の総階段量が1000段を超える日がある。
たとえセッカチでも、限度を超えている。
仕事にさしつかえる。
ここは、特例が発動される。
エスカレーターと階段をミックスする。
あるいは、上がりは階段で、下りはエスカレーターで。
「ケッ、軟弱になったもんだ」
非難の声にコソコソしながら、
エスカレーターを使わせていただく。
実は、この《使わせていただく》感が、
エスカレーターの使用法として正しいのではないだろうか?