《シマアジ》
縞鯵とも書かれる。
アジ科であるのは、魚体を見れば歴然だ。
我らが知っているマアジより、体高が高い。
体高とは、魚を横に見た時の上下の長さだ。
この魚は、そう安々とは釣れない。
シマアジを専門に取り組んだエキスパートな釣り人でも、
一日に一匹釣れればいいほうだ。
故に、釣り番組で、シマアジ釣りの放送は無い。
他の釣りをしている際に、偶然釣れた時だけ、映像が観られる。
シマアジは、今や、養殖され、スーパーでもパックで売られている。
それなりに旨い。
じゃあ、天然モノはどのくらい旨いのか?
あえて言わせて貰えれば、
微妙な旨みを知る日本人の舌を震わせる、
最高点にいるような気がする。
鯛だの、ヒラメだの、ブリだのを押しのけて、
高みで、襟を正しているのが、シマアジだ。
「私は、降りていかない」
妥協しない詩人の崇高さで、
自らの旨みを絶対視させている感がある。
恐らく、彼は、シマアジと名付けられた事を憤慨している。
アジの仲間と捉えられているのが許せない。
望むらくは、今からでもいいから、改名したいと願っている。
彼は、こう言いたいのである。
「吾輩は、《イタダキ》である」