昨日、デラウェアの話をした、
ついでのように、柿ピーを出演させた。
すると・・
「柿ピーをブドウ如きと一緒にするでない!」
怒り心頭で湯気を出す、オジサンが現れた。
「ワシはな、柿ピーをどれほど愛し、どれほど苦しめらたことか!」
まるで、愛する人の話をするかのような激情溢れる話し方である。
「アンタに聞きたい。
柿ピーをひと掴みだけ食って、やめた事あるかい?
まあ、無理じゃろな。
柿ピーの小袋を破ったとしよう。
どんなにチビチビ食ってもすぐ終わるわナ。
それでやめられるかい?
次の袋を破らない勇気があるかい?」
語るオジサンの眼は、ヘミングウェイの《老人と海》の漁師の如く、
怪しく光っている。
友人のウチに遊びに行き、つまみに柿ピーを出された際の、
対応の仕方に長年苦しんできたそうな。
もちろん、あっという間に食っちまうなんて無粋なマネはできない。
しかしだ・・
アレばかりは、自分でも気づかぬうちに、
皿が空になっている食い物である。
空になっている事に気づかずに、皿の上を指で撫でまわすのである。
さらにみっともない事に、
皿に残った微量のピーナッツの粉を、
指先にくっつけて、口に運ぶのだ。
まるで、「お代わり下さい」とおねだりしているようではないか!
見つけた友人の奥方は、
「あらまあ、お好きなんですネ柿ピー、ハイハイお待ちください」
奥から、たっぷり皿に乗せて、
これみよがしにドンっと置くのであった。
缶ごと出された事もあると、先述のオジサンはうなだれた。
時折、スナックなどの飲み屋で、
両手で柿ピーを食っているオジサンに出くわすが、
あれもいかがなものか。
せめてどちらかの手は、グラス傾けに使ってほしい。
中のピーを必ずふたつにバラして食べているオジサンもいる。
「こうすると、数的バランスがいいんだヨ」
おかきとピーナッツのバランスを考慮しているらしい。
「おい、日本百名山一筆書きで歩いた田中陽希氏は、
道中、柿ピーを食い続けているらしいゾ」
本人が語っているのだから、本当だろう。
恐らく、日本で最も柿ピーをたくさん食べているかもしれない。