空から地球を眺める時代に、偶然生きている。
その昔の人達は、大空を飛ぶ鳥を眺めながら、
「空から、この土地を見おろしたらどんなだろう?」
憧れたハズだ。
竹取物語の時代に、
「月から地球を眺めたらどうなんだろう?」
つぶやいた人達と同じ想いだ。
どうやら僕らは、
空から眺めることに慣れ過ぎてしまった。
その昔の人々が憧れた空人(そらびと)になっているにも拘わらず、
飛行機の中で、いびきをかいている。
夕焼迫る小窓にへばりつく事を、恥ずかしいとさえ思っている。
次々に眼下に流れる街の灯りに、知らんぷりしている。
見事なまで峻立している富士山さえ、
パイロットキャプテンの
「眼下に富士山が見えます」
あえてサービスアナウンスが流れるにも拘わらず、
小窓を開けるチカラには、なりえない。
なかには、通路側の客が、むりやり首を伸ばすのだが、
窓席に座った人の
居眠り力が、富士山眺望を阻止している。
空から、(特別な人ではなく)我々一般人が、
普通に地球を眺められるようになって、
50年ほどではないだろうか?
たった50年なのだ。
人類が願望した、「空から~!」。
願望が達成された途端、一気に見向きもされなくなった。
さびしい。
ダビンチが今、生きていたら、何と言うだろう?
竜馬が、さっき羽田にいたら何と言うだろう?
飛行機の小窓のガラスに、
脂ぎったおでこの付いた跡を見なくなって久しい。