2014年、9月27日、11時52分
御嶽山(おんたけさん)が噴いた。
後日、判明したが、水蒸気噴火だった。
噴いた時が、悪かった。
土曜日、快晴、紅葉真っ盛り。
おおぜいの登山者が、頂上付近にいた。
お昼どき、お弁当の時間帯でもあった。
もし・・・
何事も、もしがつきまとう。
「もし、土曜日でなければ」
「もし、あの時間でなければ」
「もし、違う山に登っていれば」
もし、もし、もし、もし・・・
多くのもしがある。
そして、多くの『ハズレもし』もある。
つまり、偶然、行くのをやめた人もいる。
ほんの少し、時間がズレた人もいる。
被災にあった人と、会わなかった人の差はない。
単なる偶然だ。
では、我々が、同じような災害に出くわした時、
あるいは、出くわす可能性のある場所に行く場合、
生き延びる手立てはないのか?
う~む、難しい問題だ。
しかし、私は、「手立てはある」のではないかと考える。
考える派だという言い方をしよう。
山に登るだの、海で遊ぶだの、
自然の中で喜々としていたい時には、
ただただ遊びそのものを謳歌していたい。
死などという究極のマイナス要素を忘れていたい。
ところが・・・
自然は、そんな身勝手な人間に、平等に災難を振りかける。
災難を逃れるすべは、本人の危険回避能力しかない。
御嶽山に、その能力を当てはめると、
最終的には、「行かない」という結論になる。
「火山に登らない」・・となる。
そもそも「山に登らない」・・となる。
つきつめると、「家から出ない」・・となる。
で、わたしは・・・行ってきました。
雪、降りました。
滅多にない晴天に恵まれました。
御嶽山、素晴らしい山です。