新聞に、《将棋欄》なるコーナーがある。
将棋の棋戦を、少しづつ載せている。
どのくらい少しづつかと云えば、
一対局を7回くらいに分けて、解説してくれる。
つまり、一対局に一週間ほどかかる。
いっぺんに全部みせてくれればいいのにと思わないこともない。
しかし、新聞の紙面という制限と、
「チビリチビリ」という出し惜しみ加減が、
将棋を考える作業に合致している。
指し手でいうと、一日に15手ほどしか進まない。
その一手一手に脳みそがフル回転する。
たとえば電車の通勤時に、将棋欄を見つめていると、
極端に集中するので、時間経過を忘れてしまう。
降りる駅を通り過ぎる可能性すらある。
没頭という文字が、最も似合う。
「ああきたら、こうやって、そこでそっちに飛車を成って・・」
『しまるドアにご注意ください』
「ん、まてよ、遠くに角が効いているじゃないか!」
『つぎは~しもきたざわ~』
「あれぇ、藤井六段くん、歩がないじゃないの」
棋譜(きふ)をなぞってゆく。
棋譜とは、将棋のプロが、
自分が生きた唯一の証明書のようなものだ。
音楽家に、楽譜があるように、
棋士は、棋譜を残す。
美しい棋譜が残れば、鼻が高い。
逆に、醜い棋譜が残らないように、
たとえ負けた時でも、最後はいさぎよい負けの形を残す。
将棋とは、ある意味、負けの美学ともいえる。
『次は、新宿~』
「しまった、降りそこなった・・・」