「靴ヒモを結べヨ!」
時折、がまんがならず、指摘することがある。
靴の結びヒモをだらしなく結んで、挙句にほどけて、
そのまま歩いている若者にモノ申している。
ただしコレは、10代の反抗心あふれる若者に対してではない。
その時代には、当然グレる。
わざとグレた振りもする。
靴ヒモも結ばず、ズボンのベルトも結ばず、
(大分弁では、
ずんだれて)過ごしている。
その話ではない。
いい年こいて(いい大人になって)、
靴ヒモさえ結ばずに歩いているとは、なにごとだ!
右足のほどけた紐を左足で踏んだら、転ぶだろ!
今、地震が起きたらどうすんだ!
そんなで、走れるのか!
近くにいる人を救えるのか!
人間としての、矜持をどう考えているのか!
テーブルを叩き、拳を空につきあげてみた。
「靴ヒモを結べヨ!」
最近、この言葉を吐いたとき、
よくよく見たら、その若者が、
靴のかかとを踏んでいることに気付いた。
ここで、私は、ガックリとコウベをたれる。
(そんなでいいんか)
私は、生まれてこのかた、
靴のかかとを踏んでこなかった人間である。
真面目とか、そういう事ではなく、
常に走ることを考えているからである。
それは別に、窃盗で追いかけられるとか、
ボールを取りに入った他所のウチの庭で、
犬に追いかけられるとかではなく、
あくまで、自然災害時の走らざる状況を、
想定していると言っていい。
あるいは、「いざ鎌倉!」に備えているとも言える。
言葉を変えるならば、いつ肝心なシーンが降りかかっても、
すぐに対処できるように備えている最初の一歩が、
《靴ヒモのシメ》であり、
《かかとを踏まない》である。
「オイ、えんどう(仮名)かかと踏むな、靴ヒモしめろ!」
撮影現場で私の罵声がとぶ。
スタッフのあんどう君は、ヘイヘイとうなずきながら、
いっかなヒモを結ぼうとしない。
しないどころか、あろうことか、
登山靴のかかとを踏んでいる。
というより、よくまあ、
じょうずに登山靴のかかとが踏めるもんだ。
さらには、ビックリしたことに、
その後、左右逆に登山靴を履こうとしていた。
ん・・・もう知らん!
大分県 国東半島 行者屈