私は<目覚ましの目覚まし>である。
夜、目覚ましをかける。
例えば、6時にセットしたとする。
明け方、ぼんやり目が覚める。
起きているような、起きていないような
曖昧な時が過ぎる。
もう起きようか、起きまいかの
至福の時が過ぎる。
まだ、目覚ましは鳴ってないな。
という事は、6時より前だな。
ふ~む、ぼんやり目が覚めてから、随分経ったな。
よし、起きよう!
いや、待てよ、
目覚ましの立場も考慮してあげないとな。
ヤツに
仕事をさせてあげよう。
目覚ましを起こしてあげよう。
しばらくして・・
チリリ!
ガチャン!
片手が伸びる。
その手は正月の百人一首の如き速さだ。
ヤツの仕事時間は極端に短い。
私の腕スピードのおかげで、
超短時間労働である。
本来、
チリリリリリリリリリリリリ~と
大声で喚きたいところだが、
チリリ でお仕舞いである。
さらに、私の運動神経が、早朝高まっている日なんぞは、
チリ で終わりである。
とんでもない日には
チ しか発っせられない。
短縮労働ここに極まれりの感がある。
時給にすれば、とんでもなく高い。
思えば、
こんなに素早く仕事を止められる目覚ましも無いのではないか。
目覚ましの気持ちになってみると、
やりがい という言葉を考えさせられてしまう。
「充分な仕事をやらせてくれよ」
とストライキが起きそうだ。
夏のセミは7年間も土の中にいて、その後ようやく
よっこらしょと世間に現れても、一週間しか
生きられない。だからその間しか、
やりがいのある鳴き声を響かせられない。
それを、先ほどの、目覚まし君に例えれば、
セミが地上に現れ、脱皮して、鳴き始めた瞬間に
バサ!
昆虫採集にあった様なもんだわな。
元に戻せば、
我が家の目覚ましの働き甲斐のなさは、
余りにも、不遇である。
だからだろうか、(早く起きすぎ)
切り忘れた目覚まし君が
夕方、思いっきり、寝室でウサをはらしている事がある。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリみ~んみ~んみ~んみ~ん