この時期、ビワの実がたわわに、成っている。
一本の木に何百という実が成っている。
数えたワケではないが、恐らく、百の単位だろう。
都会を離れた郊外を歩いていると、
民家の庭からはみ出た、ビワの何百が、満開になっている。
まるで、ブドウが山吹色に染まって、ぶら下がっている様だ。
実は、
その状態が
不思議でならない。
最近のそのビワの木のあり方が、変 なのだ。
私は、何百というビワの実が付いた木など、
子供の頃に見た事が無かったのだ。
すみませ~ん、又、40年も前の話しで・・
ビワ・・と云えば、子供の大好物だった。
夏前は、ビワを食べる事が至上の喜びであった。
街中を歩くと、黄色い小さいものに敏感になっていた。
「あっビワだ!」
誰かが叫ぶと、脱兎の如く駆けつけた。
そう!
ビワは買って食べるモノではなく、
木から
もいで食べるモノだった。
木からもぐったって、自分ちに、木は無い。
だから、人んちから、
道にはみ出た木を狙う。
必然、少しでも黄色くなったビワは、真っ先に
子供の餌食になる。
黄色くなったハシから、食べられていく。
塀や木に登って略奪する、悪ガキもいる。
するとどうなる?
一本のビワの木は、いつまで経っても、
黄色い実はつけていないのだ。
黄色くなりかけた実ばかりがついている。
そうなのだ。
子供のイシマルの認識では、ビワの木は、
黄緑色の実がパラパラと付いている木なのだ。
悪ガキによって、
間引きされていたと言ってもいい。
だから昨今の、真黄色に照り輝くたわわなるビワの木を見ると、
『こりゃ、いったいナンね!』
ドンっ!
ご老人でもないのに、憤りの杖を振り下ろすのである。
『今日ビの 悪ガキはなんばしよっとね!』
しかもだ、
そのまま食べられずに、ポトリと地面に落ちてゆく
哀れなビワに、涙してしまう。
両手を合わせてしまう。
40年前に持ち帰って、悪ガキケンジロウの腹に
何十個も詰め込んでやりたくなる。
ビワを食べ過ぎて、下痢をするなどという
最高の贅沢を味合わせてやりたくなる。
ああ、この時期だけ、
ビワの木のツリーハウスに住んでいたい。