オウムが喋る。
見事なまでに、復唱する。
言葉だけでなく、電話の音や、鈴の音まで。
すると、人は言う。
「いや~オウムは頭がいいねえ」
『耳が相当いいんだろうなあ』
「けんじろうより、よっぽど覚えがいいわい」
ホントにそうだろうか?
私は考えた。
「あれは、
擬態ではないだろうか」
カメレオンという小動物がいる。
森の中で、擬態をする。
色を変える。
周りの色に似せて、見事に同化させる。
タコという魚がいる。
海の中で、いろんな擬態をする。
先ず、周りの色に似せる。
次に形も変える。
岩そっくりになったり、海草に似たりもする。
このカメレオンとタコの擬態は、共通点がある。
ビジュアル的な擬態と云う点だ。
見た目の変化で、敵を欺いているのだ。
そこで、オウムだ。
オウムは、
音的な擬態を演じているのではないか?
ジャングルの中には、色んな音が溢れている。
その中でも、他の動物の鳴き声、を真似する。
例えば、近くに、オウムの天敵の猿がいたとする。
その猿の鳴きまねをする。
猿にとってみれば、仲間が近くにいるだけの事だから、
オウムが襲われる率が下る。
そして、ここが肝腎のところだが、
オウムは、音の真似をしている実感がないのではないか。
カメレオンやタコがそうであるように、
知らず知らずの内に、擬態をしている。
音的な擬態をしている。
カメレオン自身は、
色が変った事など気付いていないのかもしれない。
ならば、オウム自身も、
音をオウム返しにしている事など、
気付いていないのかもしれない。
擬態という生まれ持った本能が、
そうさせているだけかもしれない。
・・と考えると、
オウムが素晴らしく頭がいいとは、言い切れない。
けんじろうより覚えがいいとは、決して言い切れない。
結論;けんじろうはオウムより覚えがいいかもしれないが、
あれほど、巧みには真似出来ない。