<ロッキー>
<ロッキーファイナル>
映画の話だ。
上記のロッキーからロッキーファイナルまで30数年間
シルベスタースタローンの闘魂を観てきた。
♪~パパっパァ~パパッパア~♪~
ロッキーのテーマが鳴り響く。
有り得ない様な話がドラマ化されている。
確かに<有り得ない>
ところが、アレから30年間の間に、
<有り得ない>様な、スポーツの戦いが
現実では、普通に繰り広げられている。
そうして思えば、映画ロッキーは、先駆者であり、
尚も言い換えれば、
有り得ない系を啓発させた功労者であろう!
っとそれよりも、問題はロッキーだ。
ロッキーが
鍛えるシーンだ。
具体的に云えば、ロッキーが、ボクシングの基礎体力を
鍛えるシーンだ。
もっと具体的に云えば、ただ
走るシーンだ。
ただただ
筋トレを行なうシーンだ。
ところが!
そのシーンだけは、いつも
ダイジェストで表現される。
♪~パァパァパパパ~♪~
管楽器の鳴り響くミュージックの中、
スーパーダイジェストで、一気に過ぎ去る。
一ヶ月が一分で表現される。
そこで、私はモノ申したい!
我々、体育会系(頑張る系)が、何モノかに挑戦する時、
最も大変な作業は、
ロッキーの♪~パァパァパパパ~♪~
の状況なのだ!
戦いは、
日々の地道な基礎体力を鍛えるシーンなのだ!
苦しみは、単に走るシーンなのだ。
寒い朝、布団から起き出して、
誰にも鼓舞される事なく、走り出す
あなたの事実なのだ。
そして、通常、あなたの走った事実は、
誰かに褒められる対象にならない。
恐らく、生涯、褒められる対象にならない。
ところが!
それこそが、正常なスポーツシーンだ。
<あなたの苦しみは、あなた自身が知っている>
さあ、みんなガンバレ!