城好きである。
旅をしていて、城が地図上に現れると、迷わず向かう。
城のある場所は、わかり易い。
平野にある城を探すのは、最も簡単だ。
街の真ん中に行けばいい。
城下町とはよくぞ言ったもので、城を中心に街が出来たのだから、
その形状は数百年経っても、変わっていない。
天守閣を築城してあれば、数キロ先からでも、見つけられる。
私のお気に入りの城は、
<松本城> <高知城> <岡城> だ。
松本城と高知城は、戦(いくさ)の為の城造りが随所に見える。
城とは、
殿様が天守閣で威張る為のものではない事を、
これらの城は教えてくれる。
どうやって、戦うかを追求した建築物だ。
ある意味、
殿様は、これほど怯えていたのか・・と
イヤミな想像もしてしまうほど、
ワナが張り巡らされている。
<隠し部屋>や<落とし穴>がある。
守りやすく、攻めにくい構造だ。
ところで、もうひとつの<岡城(おかじょう)>とは・・?
それは、大分県は竹田市にある。
滝廉太郎作曲の、<荒城の月>の舞台になった城だ。
今は、天守閣はない。
街から少し離れた、丘の上に、城壁のみが残っている。
古戦場の跡の雰囲気がプンプンする佇まいだ。
ソレもそのはず、この岡城ではその昔、凄まじい戦いがあった。
昔々、齢18才の若い殿様がおられた。
その城を、2万人の軍勢が攻めたのである。
そして、その殿様と共に戦った武士が、なんと
300人!
20000人対
300人
単純計算では、
一人で、66人を相手にしなければならない。
結果から言うと、
勝ったのである。
300人が勝ったのである。
まるで、アメリカ建国史にも出てくる<アラモの砦>そのものだ。
現在、その名残を見せるかの様に、城壁は反り立っている。
その城壁を降りようというお馬鹿な子供がいた。
45年も前の話しだ。
小学6年生の子供らが、ふいにそれを口にした。
「城壁をみんなで降りようぜ!」
登るのではなく、降りるのである。
今すでに、城壁の上に位置しているのだから、
そういう発想になった。
よし、降りよう!・・と賛成したお馬鹿な仲間5人ほどが、
石に手をかけた。
下を覗き込む。
高い!
遥か下に、桜の大木が見える。
ゴクリと唾を飲み込む。
「いくぞ~~!」
誰ともない掛け声と共に、身体を宙に躍らせる。
靴先で、見えない岩のとっかかりを探す。
じわり・・じわり・・
身体を下げてゆく。
身長分ほど、城壁を下った時だ。
「ワア~~~!」という歓声が挙がった。
見上げると、一緒に降りていたはずの仲間が上から見ている。
そして、逃げ出したのだ。
どうも、みんなは、言うだけ言ったものの、
降りる勇気はなかったらしい。
本当に降りていくイシマルを見て、怖くなったらしい。
(おら、知らねえ)
と、クモの子散らしたのである。
城壁で、固まってしまった12才のイシマル。
古の18才の殿様に、必死のお願いをしたのを覚えている。
「どうか、ボクを落とさないで下さい!味方でぇ~す!」