体験モノ好きである。
旅をしていて、体験モノを探すのは楽しい。
旅とは、体験モノを探す行為だと勘違いしたくなる。
電柱の看板に<○○体験教室>とあれば、すぐに飛び込む。
体験モノの代表は、<陶器造り>だ。
土をこね回して、自分なりの皿や、茶碗を造り、
焼けたモノを後日、配送して貰う。
その作品には、陶器に付いた自分の指紋と共に、
旅の思い出が込められている気がして、大切な一品になる。
陶器とは、割れるモノだという真実を改めて思い知る。
同じ類に、<ガラス細工造り>がある。
くそ(失礼)暑いガラス工房に通され、
先生のご教授を受けながら、ガラスを膨らませてゆくのは楽しい。
先生の作品の横に、
へんてこな形をした自分の作品を並べて貰うのが楽しい。
これも、後日送って頂く。
人様には見せられないグラスで飲む、ビールは堪らない。
これが又、割れる時を、淋しむことになる。
体験モノときて、忘れてならないのが、これでしょう。
<ソバ打ち体験道場>
なぜ、ソバだけが、道場なのか不思議なのだが・・
その道場に赴くと、必ず現れるのが、
作務衣を着た、先生と呼ばれるおじさんだ。
白髪混じりの長い髪を後ろでクビったおじさんだ。
ヒゲは、アゴヒゲだけを生やしている場合が多い。
「は~い、誰でも打てますよお~」
導入部の優しい声で、安心していると、
途中から、水の量、こね方、伸ばし方にウルサクなってくる。
ソバ打ちの微妙なサジ加減を、体験教室なのに植えつけられる。
「そうじゃないよ!こうだよ!」
体験に来たのではなく、
弟子入りした気分をたっぷり味わえる。
先生と呼ばずに、師匠と呼んでしまいそうになる。
そして、自分で打ったソバは、概して美味しくない事を・・
体験できた。