~昨日の続き~
バタヤンに刺身の表示のレイアウトを頼み、
駄目ダシをした話を昨日した。
ふむ、思い出した・・その次の日の事だ。
私は、餃子を作る。
一から作る。
一(いち)からとは、皮の生地から作るという意味だ。
それも、前日に、薄力粉と中力粉を捏ねる所から始める。
具の材料も前夜に作成し、一晩寝かせる。
さあ、当日だ。
小さな麺棒を握った私が、
テーブルの周りにいる面々に指図を送る。
「皮を広げるから、みんな、ソレに、具を包んでね」
『うん!』
うん!と一際大きく返事をしたのが、
バタヤンだ。
物体の造形に、殊更、深い造詣を抱いているバタヤンだ。
砕いて言うと、
もの作りが異常に大好きなバタヤンだ。
餃子を作るという今までやった事のないイベントに興奮している。
自前の餃子ゆえに、形を強制されない餃子に我を忘れている。
考えてみれば、餃子は一見、形が決まっている様で定かでない。
よもや、自宅で作る餃子に、形の強制はない。
餃子の大海に放たれたバタヤン、水を得た魚の様に、
好き勝手に餃子を包み始めた。
「いしまるさん、こんなん、どうですか?」
『駄目ぇ~~』
「いしまるさん、これは、どですかネ?」
『却下!』
作るも作るも、いちいち
駄目ダシを出されたバタヤン・・
「自分で食べるンで、コレは・・?」
『構わんけど、ほんと下手だね!』
「ボクって、餃子作る
才能ないですかネ?」
『ないネ!』
才能ない、とまで、私に断言されたバタヤン・・
そのバタヤンが、
今年のデザイン界のアカデミー賞で、
世界一の金賞に輝くんだから、
人間の才能は、わかんないもんだね。
ごめんねバタヤン、でも、餃子はもっと上手く包もうネ。
だって、バタヤンの、具を容れ過ぎで、美味しくないもん。