蟹を焼いて食べた。
実に美味かった。蟹は茹でるものだと思い込んでいたが、
焼くと更に香ばしくなる。
蟹にがっついて、暫くすると、皿の脇に、残骸が大量に出る。
食べ損なった部分が随分ある残骸だ。
さて、この残骸を捨てるのは勿体ないってんで、
出汁を摂った。
すると、それはそれは、非常に旨いダシが摂れた。
鳥の手羽先を食った。
皿の横に、完璧に骨をこさいだ残骸が残った。
小さな小片にも、肉は付いていない。
軟骨も、筋もすべて全部こさいで食った。
さて、この残骸を捨てるのは勿体ないってんで、
だし汁を摂った。
すると、それはそれは、目が裏返るほど旨いダシが摂れた。
映画<フランダースの犬>の冒頭で、
お爺さんと少年が、スープを煮出している場面がある。
鍋の中に入っているのは、
骨の塊がひとつだけ。
そして、お爺さんがつぶやくのだ。
「もう、三日目だから、余りダシは出ないな」
貧乏な二人には、食糧を買うお金が無い。
だから、同じ骨を三日でも四日でも、煮出しているのだ。
食べ物はそのスープだけ・・
40数年前に見た映画の、このシーンが忘れられない。
なぜか、強烈な印象を、けんじろう君に植え付けたようだ。
今だに、スープのダシをとる時は、徹底する。
もうこれ以上出なくなるまで、煮出す。
骨付きの肉を食べる時は、徹底する。
もうこれ以上食べる部分がなくなるまで、シャブる。
周りで見ている人が、悲しくなるまで、シャブる。
フランダースの少年の気持ちを、健気に代弁している
けんじろう君であった。
川蟹