
牛乳大好きに浮かれていた私の中学時代。
給食に出され、皆が嫌がり残していた
脱脂粉乳(だっしふんにゅう)でさえ、
美味しい美味しいとオカワリして飲んでいた時代。
ある日、友人の家を訪ねると、その友人が、
ちっちゃなプラスチックの容器に入った飲み物らしきを
手に持っている。
慣れた手つきで、容器の入口にあるアルミをベリっと剥がし、
口をとんがらして、吸い始める。
チュウーチュッ
ほとんど一瞬で、内容物が口の中に消え去った。
牛乳にしては、白くなく肌色してるし・・
「それ何?」
『
ヤクルト』
ふぅ~ん、ヤクルトって言うんだぁ。
『飲んだことないの?』
「ない」
友人は快く、冷蔵庫から、一本のヤクルトを持ってきてくれた。
ベリッ
フタを取り、匂いを嗅ぐ。
甘ったるい匂いがする。
チビっと飲んでみる。
ふむ・・カルピスを濃くしてどうかした味だな。
うまいな・・
ゴクゴクっ。
あれっ、もう無くなっちゃった。
ここで中学生のけんじろう君は混乱する。
コレは、
市販の飲み物なのだろうか?
けんじろう君の認識では、市販の飲み物とは、
喉の渇きをある程度抑えてくれる<量>が必要である。
嗜好品という考えが全く無かったけんじろう君には、
このヤクルトの内容量が、理解出来なかった。
牛乳であれば、
180CCという量が、
喉と腹を満足させてくれる。
カルピスであれば、薄めて拵えたコップ一杯に納得する。
コーラなどは、泡まで手伝って腹ゲップである。
どんな飲み物も、コップ一杯が最少単位だと信じていたのである。
そこに、ヤクルトだ。
ヤクルトの人体への効能など、全く知らなかったその頃、
量に対する不満が、渦巻いた。
少し少ないのではない。
もの凄く少ないのだ。
例えば、今私が喫茶店に入っているとしよう。
ヤクルトというメニューがあり、頼んだとしよう。
さてヤクルトが一本出されて、テーブルの上にあり、
コレで時間つぶしが出来るだろうか?
混んでいる喫茶店で、1時間つぶせたら、あなたは偉い!
ヤクルトは世界で初めて、
腸にまで、有益な細菌を送り込んだ飲み物である。
そしてヤクルトは、どの飲み物にも起きた轍を踏まなかった。
それは、
巨大化・・
殆どの飲み物は販売上、巨大化の道を模索してきた。
20%増量・・1,5倍増・・どんと倍増ジャイアント!
ところが、ヤクルトは耳を貸さなかった。
<絶対少量主義>
ああ・・ヤクルトをビールジョッキでグビグビ飲みたいと思うのは、
私だけだろうか?

那須の山々