
日の出
天体ショー、皆既日食でおおわらわだったな。
46年ぶりと云うから、おいらが10才の頃にあった事になる。
うん、あった。
皆既だったか部分だったか忘れたが、
父親がローソクとガラスで作ったインチキ観測器で、
欠けた太陽を覗いた記憶がある。
周囲が
間接照明のような暗さになったのを覚えている。
私は、現代の日食が悔しくて仕方がない。
日食だけは、今の時代に見たくなかった。
少なくとも500年以上前に見たかった。
なぜか・・
我々は、
日食が起こる仕組みを知ってしまっている。
科学的に説明出来る。
太陽が消えるなどと云う最も恐ろしい現象を、
楽しい顔をしてやり過ごしている。
かがり火を焚いて拝んだりしない。
泣き叫んだりしない。
地震、雷、火事、おやじ、と云うが、
日食は地震の前に付けられるべきスーパー天災だったろう。
そうなのだ。
私は、その
恐るべき現象におののきたかったのだ!
おののき、感動したかったのだ。
村の長老さえ説明してくれない恐ろしさに、
口をあんぐり開けたまま立っていたかったのだ。
〈知っちまった悲しみに~〉と詩ったのは、中原中也だが、
確かに、我々は日食の不思議を知っちまった。
知っちまえば、恐れる事など何もないのだが、
知っちまわない方が面白い事だってある。
昔の人々の、
おののきやいかに!

月の出