「白いご飯が食べたい」
誰ともなく、言いだした。
ポンフーに来て、一週間も経つと、
白い飯が食いたくなった。
ところが、料理屋に、<ご飯>に相当する文字が無い。
<○○販>の文字はあるのだが、
上に何かが乗っかっている丼モノだ。
食べたいのは白いご飯なのだが、頼み方が解らない。
さらに言えば、<チャーハン>すら、お品書きに無い。
「ハン」も「チャーハン」も喋ってみたが、通じない。
そんな時だった。
「
パイハンね、それはパイハンと言うのですよ」
キレイな日本語が聞こえる。
振りかえると、年の頃75才位のお爺ちゃんが、
微笑んでいる。
「何食べたい?頼んであげますよ」
『白いご飯が食べたいんです』
「ああ、わかりました、今出して貰いましょう」
お店の人に、何やら耳打ちすると、
すぐさま、白いご飯が出て来た。
有るじゃないの~
お爺ちゃんはご近所のお店の方らしい。
日本語は昔、勉強したそうだ。
「台湾では、何も加工していない
ただのご飯は、
申し訳なくて、お客にお出ししないんです」
次の朝、再びお爺ちゃんを探し出し、
ザオテン(朝食屋)へ向かう。
食事の通訳をお願いしたのだ。
すると・・
「さあ、おいで」
と、お爺ちゃんの手が、私の手を掴み、仲良く
お手手つないで
歩きだしたのだ。
確かに、お爺ちゃんと私は親子に見えなくもない。
でも、お父さんと少年ならいざしらず、
この年になって、お手手つないでは、恥ずかしい。
仲間もジロジロと二人を見ている。
手を離したいのだが、通訳と案内をお願いした手前、
無理やり離すというのもいかがなものか・・・
モジモジしながら歩いていたら、
おりよく、自転車が通りかかってくれた。
よけながら、手を離した。
すると、再び、お手手繋いでくれるのだ。
なるほど、お爺ちゃんにとっては、言葉もまだ不自由な
子供にしか見えないのだろう。
そう云えば、昔々の日本人も、親切に
手をつないでくれたものだ。
危険な往来を
手を引いてくれたものだ。
忘れていた良き文化を、お爺ちゃんが教えてくれた。
ありがとうございました。
それにしても、お爺ちゃんは、我々の中の、
なぜ
私の手を引いたのだろう?
ナカヒラ君や、滝田君や、大畠先生ではなく、
私の手を引いた。
「やっぱ、一番カワイイ子に見えたのかなあ~」
『違うヨ、一番危なっかしく見えたんだヨ!』