
38年前に、この谷を遡ったのは、19才のイシマルだ。
<谷川岳、芝倉沢>
この沢に入るには、2時間の遠足をしなければならない。
途中、マチガ沢、一の倉沢、幽の沢という、
1000mの絶壁を眺めながら、ひたすら歩く。
いってみれば、ロープウエイの駐車場から、
4つ目の沢が、<芝倉沢>(しばくらさわ)である。
沢というと、水がチョロチョロ流れる沢を想像するが、
実際は残雪で埋め尽くされている。
標高差1000mを、平均斜度30度で駆け上がる沢である。
スキーのモーグルの斜度が、30度ほどであるから、
そのガケっぷりは、驚くほどだ。
当然ながら、頂上に近づくほど、傾斜は激しくなる。

「隊長、アイゼン装着終わりました」
滝田隊員の快活な声が、谷間に響く。
響くと言ったが、実際は、雪が吸収してしまい、
森閑として、音の無い世界である。
ザクザクザク~
木の棒を、雪面に突き立て、高度を稼いでいく。
大雪の残骸が目の前にたちはだかる。
雪崩のアトだ。
アトで良かった。
最中にならないように、祈るしかない。

雪の塊だ。
遥か上の支流から、転げ落ちてきたらしい。
5トンほどの雪塊に、狙われたら逃げようがない。
狙われないように、祈るしかない。
ザクザク~
アイゼンを履いていても、ズルズルと足が、滑ってしまう。

斜度が、40度に近づいてきた。
ザザザザァァ~~~
振り返ると、滝田くんが滑り落ちている。
「棒を突きたてて止めろ!」
5mほど落ちて止まった。
ザザザザァァ~~~
今度は、私が足を滑らせた。
「あはははは~」
滝田君は、笑っている。
滝田くん、笑っている場合じゃないぞ。
君のすぐ横の切れ目は何だい?
それはネ、こう呼ばれているのだよ。

<クレパス>
泣く子も黙る、恐怖の
雪渓の落とし穴である。
ジャージャーと水の音がするだろう?
あのクレパスの深い底に、穴が空いていて、
雪解け水がドウドウと流れているのだよ。
もし、落ちたらどうなるか想像してごらん。

滝田くんのノド仏が、大きく上下したところで、
お弁当の時間となった。
ん・・?
あれれ・・?
第二段の
忘れ物が見つかった。