
遠い昔、けんじろう君が小学生の頃・・
子供の誕生日には、父親が、皆を集めて宣言した。
「今日だけは、けんじろうを叱ってはならん。
けんじろうに逆らってはならん。
そして、牛乳は、けんじろうが、一本飲んでいい」
当時、我が家では、毎日一本の牛乳が配達されていた。
それを、3人兄弟で飲むのである。
飲み方はこうだ。
一日に、二人が半分づつ飲む。
したがって、3日に1日は、飲めない日がある。
ゴクゴクゴクッ
兄貴が半分のんで、ビンをボクに渡す。
180ml入りのビンだ。
半分の分割が非常に難しい。
だが、渡されたビンを見たところ、
54%ほどの残量があった。
ふむ・・・
ある日は、ボクが兄貴に渡す。
ゴクゴクゴクッ
渡したビンには、たぶん53%の残量があった筈だ。
こうしてボクは、相手を思いやる
半分コの心を身に付けた。
やがて中学になった時に、
その心を<謙譲>と呼ぶ事を知った。
その途端、けんじろう君の頭に電球がともった。
「ボクの名前の<謙>の字が入ってるぅ~!」
さらに、もう一つ、電球がともった。
「謙譲とけんじろうは、語感がそっくりじゃないか!」
まだ、狭い世界しか知らなかったけんじろう少年は、
意味のないことを思いつく。
「そうだ、いっそ名前を、石丸謙譲にしよう!」
さっそく、紙に鉛筆で書いてみた。
すぐに気付いた。
謙も譲も、字数が多い。
特に、譲は、むつかしい。
書き損じる。
何度も書かされるテストの時、時間をロスするに違いない。
いい思い付きだと思ったのだが、すぐに挫折した。
青春は挫折するものだと、大江健三郎さんも言っている。
さて、時を経て、58才の誕生日を迎えた今、
私は、謙譲の心を持ち続けているだろうか?
半分コするとき、大きい方を相手に渡しているだろうか?
相手に少しでも、たくさん譲っているだろうか?
牛乳は、54%以上残してあげられるだろうか?
あ、それは、大丈夫だ。
牛乳飲むと、おなかグルグルになるから、全部飲んでいいよ。