
富士山の麓、
《音止の滝》がある。(おとどめ)
そこの案内カンバンである。
「蘇我の五郎、十郎兄弟が父を殺された敵を、
富士の狩りの際に討とうと考え、
陣屋近くの隠れ家で相談したさい、
近くの滝の音があまりにもうるさく、
密談しにくい事を
神に嘆いたところ、
滝の音がピタリと止まり、
無事討ち入りの相談ができました
それ以来《音止の滝》と呼ばれるようになった
との伝記からきています」
読み終わった私が、腕組みをしている。
そ、そんな事で神様の奇跡を懇願していいんかい?
密談するんだったら、滝から離れればいいじゃんか。
密談程度で、滝の音を止めたら駄目じゃんか。
出エジプト記では、モーゼが紅海を割るには、
神に、並々ならぬ願いの杖ふりをしたのですぞ。
この並々ならぬというところが大事で、
密談程度で、紅海を真っ二つには出来なかったのだ。
神様に申し訳なかったのだ。
神様の奇跡はもっと大事な場面でお願いしたほうが、
いいんでないかい?
しかも、この滝では、神に懇願したのではなく、
「嘆いた」のである。
「うるさいなあ・・」と嘆いたのである。
「話できないじゃねえか」と嘆いたのである。
そんなもんで、ピタリと音を止めたこちらの神様も、
随分、お気軽な方である。
ひょっとすると、「並々ならぬ願い」がお嫌いなのかもしれない。
なんたって富士山の神である。