
「こんな古い家がつぶれるワケあるか!」
50年前、夜中に父親が、ほえている。
夜中、グラリと揺れた。
あとで聞くと、震度4だったらしい
それでも、大分県で、そんなに大きな揺れを経験した事がない、
母親と子供たちは、我先に庭にとびだした。
もちろん裸足だ。
揺れがおさまり、周りを見回すが父親がいない。
母親がヒザ立ちで持ってきた雑巾で足の裏をぬぐい、
寝室にいくと、布団の上で、父親がアグラを組んでいる。
「なんで逃げないの?」
私の質問に、アクビをしながら・・
「こんな古い家がつぶれるワケあるか!」
父親が、力説するには、
この家は、200年以上は経っている武家屋敷である。
大黒柱もしっかりしており、昔の建築は頑丈なんだと。
しかも、200年以上も地震に耐えてきたのだから、
いまさら倒れるハズがないと、
《いまさら理論》をぶちまけているのである。
小学生のけんじろう君は、この力説に納得して、
布団に潜り込んだ。
しかし、今思えば、この《いまさら理論》は、
果たして正しいのであろうか?
「こんだけ長い年月もったモノが、
いまさら壊れるか?」
この考え方が、いかに脆いものであるかは、
二年前の震災や、台風、風雪で覆されている。
単にこれまで、運が良かっただけかもしれない。
<いまさら>の対語として、<いつか>を持ち出してみよう。
「こんだけ年月もったモノだが、
いつか倒れる」
いつか理論を持ち出さなかった父親は、
今思えば、単に眠かっただけなのかもしれない。
もしあの時、
眠気もなく、いの一番に逃げ出していれば、
庭に裸足で立ち、
<いつか理論>をとうとうと語っていたであろう。
「いいか、けんじろう、どんなに堅牢な・・」
グラっときたら、まずどうすればいいんだっけ?

大分県竹田市の武家屋敷 今は塀しかない