
「ビールと餃子ちょうだい」
東京を離れ、地方都市から、ちょいと離れた町の、
中華屋の丸椅子に座っている。
隣のテーブルでは、餃子の数をどうするかで、
兄弟で喧嘩しているご家族のお父さんが、
酢豚を頼むかどうかで、お母さんとやりあっている。
まず、私の
都会的な慣れ親しみを反省しよう。
都会の中華屋で慣れ親しんだ私は、<量>に鈍感になっていた。
「ビールと餃子ちょうだい」
そう、声をかけた私は、壁のお品書きを眺めていた。
餃子程度で、腹が納まる筈もなく、追加注文を考えていた。
「あ~とネ、マーボ豆腐と、野菜炒め、ください」
都会的な注文をしてしまった。
ここで、冷静に考えてみよう。
ビールという飲み物以外は、食べ物である。
メニューに書かれてあるのだから、それが単品でやってくる。
これこそが、都会的な発想だ。
ところが、地方の町の中華屋では、単品の考え方はない。
すべては、定食的な食べ方にのっとっている。
つまり、私が頼んだ単品は、
餃子定食、マーボ定食、野菜炒め定食の、
ご飯とスープを取り払った部分がドスンと出される。
定食を頼む人は、オカズの容量は多いほど嬉しい。
したがって造る側も、嬉しさを演出する。
先ほどの定食の、定食という言葉を取り払った、
餃子、マーボ、野菜炒めの物量は、とてつもなく多い。
お客を失望させないだけの量を届けてくれる。
夕方、仕事を終えて、餃子定食を注文する人が、
都会的な小さな5切ればかりの餃子に満足する筈がない。
小皿ほどのマーボ豆腐に、うなずく筈がない。
ビックリするほどの野菜炒めでなければ、
怒りだすに決まっている。
そう、その怒られない規模の量のケタの、
餃子と、マーボ豆腐と野菜炒めが、
私の目の前のテーブルに届けられた。
『あ~んたが、頼んだんだけんネ』
そう諭されているようであった。
田舎をナメていた。
地方の腹ペコをナメていた。
とてもじゃないが、食える量じゃなかった。
運んできた女将さんも、怪訝な顔をしていた。
「すみません・・ビールおかわり下さい」
覚悟を決めた。
餃子を一口食ったら、その旨さに、胃袋が雄たけびを挙げた。
「OKで~す!」
胃酸が、ビシバシ吹きだしてきた。
「仕上げに、ラーメンでもいってみよう!」
お馬鹿な、雄たけびすら吐き出しそうになった。
そう、そこは、日本三大ラーメンのひとつ、
喜多方の片隅の中華屋だったのだ。