昨日、裸足で歩く話をした。
裸足で歩くには、都会は向いていないと思われている。
しかし、よく考えてみよう。
田舎の舗装されていない道と違って、
都会は、舗装道路しかない。
石ころもジャリも落ちていない。
タイル張りや、コーティングされた通路だらけである。
足の裏に、やさしい。
痛くないのである。
では、なぜ誰も裸足で歩かないのか?
電車に乗って、どこかに行くのならともかく、
ご近所でも、なぜ、裸足で歩かないのか?
《他人の目が気になるから》?
ま、それもあるだろう。
「じゃあ、誰も見ていなかったら、
裸足で玄関から出ていきますか?」
ハイッと答えられなかったアナタは、なぜ出て行けないのですか?
外は汚い。
足の裏が汚れる。
帰ってきたら、足の裏を洗わないと、あがれない。
じゃあ、足の裏を洗う場所が、用意してあれば、
裸足で外を歩けますか?
「うぅ無理だ」と答えたアナタの場合・・・
これは、習慣が関係していると思われる。
《お外を裸足で歩いてはいけません》
子供の頃から躾けられた習慣が、裸足を拒否している。
19才の時、その躾けに挑んだ私は、
一週間もすると、裸足で歩く事に、まったく抵抗がなくなった。
玄関の床から、ためらいもなくタタキに降り、
そのまま公道にパタパタと歩いてゆく。
カバンの中のビニール袋に、濡れゾウキンをひそませ、
どこまでも歩いてゆく。
一ヶ月もすると、足の裏が固くなり、
少々の小石があっても、気にならなくなった。
はじめは怪訝な顔をしていた中華屋のオバチャンも、
次第に、当たり前に接してくれるようになった。
「もうだいぶ貯まったの?」
お金がなくて靴が買えない、と心配してくれている。
なるべく電車に乗らないように、歩きの生活をした。
やがて、冬がきた。
コンクリーは、冷たい。
シビレルほど冷たい。
だが、私は突然北国に来たのではない。
徐々に、冷たくなるコンクリーと接していたのだ。
人間、
徐々になら、慣れるものだ。
やがて春がきて、夏になった。
ここで、青春の挫折がおこる。
裸足の大敵は、寒さではなく、
暑さだった。
(漢字が違う)
熱さだ。
コンクリーは、真夏には、とんでもない熱さになる。
試しにこの夏、裸足でコンクリーの上を歩いてみよう。
10秒と我慢できない自分に驚くだろう。
走り回っても、意味が無い。
真夏に散歩している犬に合掌したりする。
しかして、1年たらずで、裸足生活に終止符をうったのだ。
敵は、コンクリーの熱さだった。
「え~イシマルさん、
徐々に慣れるんじゃなかったの?」
慣れるかい!
古いラッセル車