
その昔、詩人が言った。
《書を捨てよ町へ出よう》
その名は、寺山修二だ。
詩人らしく、老いることなく、アッチに逝っちまった。
この言葉は、
当時、学生運動などで、思想で凝り固まった、
インテリ連中に浴びせた、強烈なシュプレヒコールだった。
学問の書に、凝り固まることなく、
人とのコミュニケーションを求めて町へ出ろ!
と導いている。
では、今の時代、
何とシュプレヒコールを挙げればいいのだろうか?
私が、寺山修二をパクリながら考えた。
《
パソコンを捨て、野に出よう》
さあ、これを実行できるだろうか?
パソコンを捨てろという文字を、
すでにアナタはパソコンで見ている。
それを捨てろと、言われている。
そんな事が出来るだろうか?
もし出来たとして、その後、アナタは野に出られるのだろうか?
ん・・出来ない?
もし・・でも出来ない!
ならば、先述の言葉は、言い換えよう。
《
パソコンを持ち、野に出よう!》
そういえば、我々は、すでにそれを実行している。
山の中で、スマホで様々な情報をやりとりしながら、
登山している。
野を駆けながら、道情報をキャッチしている。
釣りをしながら、お天気を知りたがっている。
ウインドサーフィンの海の上で、風向きが変わるお知らせがくる。
ピ~ピ~ピ~
海岸沿いの岩壁をクライミングしていたら、
地震発生の緊急アラームが鳴る。
スワっ高台へ!
せっかくコンピュータが軽くなったのだから、
野に持っていかないで、どうする!
お弁当を、草原で食べるのが美味いように、
情報も、野で手に入れるのが楽しい。