坂本竜馬が脱藩して、夜中に歩いて土佐を脱出した。
現在の高知から、愛媛県に向かって、
山中を数十キロ健脚をとばした。
その県境に、町がある。
梼原町(ゆすはら)
町の中心に、劇場があった。
《ゆすはら座》
古めかしい木造建築の立派な芝居小屋だ。
桟敷があり、二階席まである。
今も現役の芝居小屋だ。
桟敷は、座布団を敷いて客が座ると思われる。
歌舞伎公演に十分耐えられそうな雰囲気を漂わせる。
っと、小屋の周りを散策していたら、
刀を差した竜馬に出くわした。
髪をざんばらにし、着物袴で、大刀を一差し腰に帯びている。
「竜馬さんですか?」
『はい、そうじゃキニ』
「何しておられるですか?」
『観光大使として、皆さんを案内してしんぜようと』
「ほお~」
竜馬姿で、土佐弁をあやつるお兄さんが、
町を案内してくれるのだそうな。
これはこれは、幕末気分たっぷりである。
竜馬が逃げ落ちた山中の道などに連れて行ってくれる。
「アッチから来ち、ソッチに抜けて行ったキニ」
まるで見ていたような解説をしてくれる。
「こん茶屋で、誰ソレと落ち合うたゼヨ」
歴史の教科書読むよりはるかに面白い。
「ゼヨ」
竜馬と云えば、必ず語尾にこのフレーズが付いてくる。
「知らんゼヨ」
「困ったゼヨ」
土佐の男衆は、本当に皆、「ゼヨ」と言うのだろうか?
現在も使っているのだろうか?
これまで、私が、高知県におもむき、
耳をダンボにしてきた範囲では、一度もお耳にしなかった。
聞きかじれなかった。
そこで、土佐を故郷にもつ我らがバスガイド、
ヒロリンに、質問を投げかけた。
「ゼヨって聞いたことある?」
『う~~ん、あんまり聞かへんなあ~』
「昔のおじいちゃんとかは?」
『使ってたのかもしれへんけど、知らんゼヨ』
たった一人のアンケートでは、即断できないが、
どうも、あやしい。
土佐の人に叱られるのを覚悟で、
《竜馬、ゼヨ言わなかった》って仮説を作ってみた。
竜馬の喋り言葉を聞いた人は、今はいない。
昔の手紙は、方言を使わずに、文章語で書いてある。
竜馬の手紙もしかり。
よって、ゼヨなる語尾は、後の歴史小説家の想像かもしれない。
土佐人がゼヨを使っている時代があった。
その時代に竜馬がいた。
だから、竜馬もゼヨと言っていた。
この三段論法により、歴史小説家が誘導した・・と。
う~む、無理な仮説であったか・・
やっぱ土佐人に怒られるナ。
ちなみに、「キニ」はよく聞く。
「カプチーノじゃキニ」