寝室の枕元に、目覚まし時計が、3つある。
なぜ、3つもあるのだろうか?
2つというのなら、「それはわかる」という方がいる。
しかし、なぜか3つである。
私は、基本的に<目覚まし>という機械を信用していない。
目覚まし君には、申し訳ないが、
長い間に、信用を落とした君も悪い。
その証を述べよう。
その①
目覚まし時計は電池で動いている。
いつか電池は切れる。
いつ切れるかを、教えてくれない。
灯油暖房器には、灯油の残量が分かるケージがある。
見れば、一目瞭然である。
自動車のガソリンも、メーターを見れば分かる。
しかし、目覚まし時計には、電池の残量計がない。
いつ切れるか分からない時計に、
明日の人生をかけるほどの、勇気はない。
ゆえに、もう一つ目覚ましを買い求める。
その②
目覚まし時計は機械である。
機械はいずれ壊れる。
これまでも、長針が外れたり、動かなくなったり、
あるいは、肝心の目覚まし音が、鳴らなかったりする。
ピッと小さな音を発しただけで、黙り込んだりもする。
ゆえに、もうひとつ目覚ましを買い求める。
さあ、ここで、3つの目覚まし時計が集まった。
これら一つ一つが、ばっくれる確率を、1000分の一とする。
つまり、3年に一回と設定した。
すると、3つが同時にばっくれる確率は、
1000×1000×1000=10億。
10億日に一回、目覚ましが鳴らない日が出来た。
ま、そんなに生きないから良しとしよう。
そんなわが家の目覚まし君なのに、朝、鳴ったためしがない。
鳴る前に、私によって、頭を叩かれるからだ。
だから、彼らの鳴き声を、あまりよく知らない。
時折、切り忘れた彼らが、夕方わめいている時に、
「ああ、あんな鳴き方をするんだ・・」
感慨にふける事はある。
それにしても・・・
働き甲斐のない家に雇われてしまった、
可哀想な
目覚まし三兄弟である。